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ポール・ボキューズさんを偲んで⑦ 

-偉大なフランス料理人、ポール・ボキューズ氏の思い出に-


夕刊の左下にボキューズ氏の顔写真を目にし、記事も読めずにしばらく呆然としてしまった。
91歳という年齢でもあり、近年、体調を崩していると聞いていたこともあって、ありえないことではないと理解しながら、ボキューズさんが亡くなったという事実は、瞬時には受け入れがたいことだった。
故辻静雄前校長との友情に発するボキューズ氏と学校の関係は、たぶん外部の方には説明しても、よく解っていただけない部分がある。料理技術だけでなく、フランス校をはじめとする教育体制の構築、フランスでの料理人との緊密なネットワークづくり、フランス料理の方向性の示唆とそれに対する対処、そうした様々な局面で、時にアドヴァイスを受け、時に援助の手を指しのべていただいた。
学校のフランス料理教育でボキューズ氏に負っていた部分も大きいが、何よりも辻静雄前校長と並んで、フランス料理の精神的な支柱ともいえる存在だった。


こうした学校とボキューズ氏との関係で、何度か一緒に仕事をさせていただき、その謦咳に接する機会に恵まれた。中でも深く記憶に残っているのは、2校目のフランス校の入手に立ち会った思い出である。
第一フランス校・シャトー・ド・レクレールが手狭になったため、辻静雄校長は、かねてからボキューズ氏に、リヨン近辺で学校に相応しいシャトーを探すように依頼していた。
しばらくして、ボキューズ氏から、「学校に適当なシャトーが見つかった」との連絡があり、当時の山縣事務局長とフランス校ディレクター桜井氏、現在のフランス校ベアル・ディレクターと4人で、早朝リヨンのボキューズ氏のレストランを訪ねた。
ボキューズ氏は、ジャケットに着替え自ら案内を買って出て、川霧の立ち込める中、2台の車に分乗してトレヴーへと向かった。トレヴーの町に入り、ボキューズ氏の先導で、2度3度と道に迷いながら車を走らせていると、深い霧の中からシャトーの門が現れた。車で門をくぐり、ゆるい坂を登って本館につくと、館の前に痩身の初老の紳士が出迎えていた。
握手を交わした後、自己紹介で紳士から「エスコフィエ」と名乗られ、驚きのあまり4人で顔を見合わせてしまった。もう一度「エスコフィエ」の名を確認して、ボキューズさんを見上げた時の「してやったり」というその笑顔は、忘れることはできない。
そのあと、しばらく館の中と庭の施設を見て廻り、下交渉のテーブルにつこうとすると、「先に帰っている」といって席を立って、ひとり坂を降りていった。見送ったボキューズさんの堂々たる後ろ姿は、今も鮮明に記憶に焼き付いている。


インタビュー、CM・プロモーション・ビデオの撮影、来日時の付き添いや案内など、幾度かご一緒させていただいたが、場の主役、そしてフランス料理界の指導者としての振る舞いと言動の見事さには、いつも感服させられた。
時代のフランス料理を代表する料理人として、その動向はことさらに注目され、さらにメディアの標的にもなったが、常に指導者として見事に対応していた。ボキューズ氏らしい2つのエピソードを挙げておこう。
『ゴー・ミヨー』ガイドで、最高位の座から落とされた際、メディアのインタビューで。「私のレストランで、しばらくゴー・エ・ミヨーなど見かけたことがない。ミヨー・エ・シアン(犬)ならよくやって来るがね」。
「ヌーヴェル・キュイジーヌの法王」と異名をとっていたボキューズ氏が、伝統料理の擁護を宣言した後、メディアの質問に答えて。「ヌーヴェル・キュイジーヌとか、キュイジーヌ・クラシークとか、そんな区別は私は知らない。「良きフランス料理」とそうでないものの区別が存在するだけだ」
アンリ・ゴーはこのボキューズ氏の転身を捉えて「かつてヌーヴェル・キュイジーヌの法王として君臨したポール・ボキューズは彼岸へと戻り、伝統料理の地で揺るぎない玉座を保つことを選んだ」、このように評した。
ボキューズ氏のこうしたメディアや料理批評への、時に皮肉を交え、巧妙に興味を引く話題を提供する理知的な対応は、ボキューズ氏個人を超えてフランス料理界がメディアとの良好な関係を維持する上で、大きな貢献を果たしていた。


1970年代以降、今日に至るまで、疑いなく「ボキューズ」はフランス料理を象徴し、先導する存在であった。そしてこの指導者は、彼が「良い」と認めた料理・料理人なら、たとえ自らの料理と方向性がまったく異なっていても、フランス料理のために、全て良し、として推薦し、激励し、援助の労を惜しまない、そういう人だった。
料理そのものばかりでなく、20世紀後半のフランス料理界を導いた指導者として、フランス的に表現すれば、偉大な料理人たちを祀るフランス料理の神殿において、ポール・ボキューズは、アントナン・カレームとオーギュスト・エスコフィエの横に列せられるべき存在、そういっても良いだろう。
我々のフランス料理は、この人の薫陶を受けて、現在ある、このことを忘れてはならないだろう。


ボキューズさん、長い間ありがとうございました。

辻静雄料理教育研究所
山内秀文

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