■ミシュラン1998年版速報<フランス編>
フランスで毎年3月の第1週にやってくる、業界の一大関心事と言えば「ミシュラン・ガイド」の発売。
今年も1998年版が3月2日に発売になり、早速赤い表紙の分厚いそのガイドがフランスより届いた。
今年はミシュランのキャラクター「ビベンダム(タイヤでできた人形)」の登場100周年ということで、表紙にそのふくよかな丸い顔が大きく描かれている。
さて、動向の中でも一番の関心事は、なんといっても「星」の増減。とりわけ「3つ星レストラン」の動きは、フランスのガストロノミーの今を代表する店として、関係者ならずとも気になるところ。
「新たな3つ星は?」「トップの座から転落した店は?」などなど、3月が近づくといろいろと憶測や噂が流れるのも恒例のことである。
また、店の経営者や料理人など当事者にとっては、単なる関心事にとどまらず、星を失えば、最悪、死活問題にもなりかねない重大問題となる。
●「ミシュラン・フランス1998」
3つ星が新たに3店増えて21店に
まずは一番気になるところの「3つ星」から。
98年版のミシュランでは、3店の「☆☆」を「☆☆☆」へ昇格。この栄誉を勝ち得た店は以下の通り。
−LOUIS XV(ルイ・キャンズ)/モンテ・カルロ
−PIERRE GAGNAIRE(ピエール・ガニェール)/パリ8区
−LE JARDIN DES SENS(ル・ジャルダン・デ・サンス)/モンプリエ
●≪ LOUIS
XV ≫のシェフ、アラン・デュキャスは、パリの ≪
ALAIN DUCASSE ≫と合わせて6つの星を持つこととなった。(1930年代に、メール・ブラジエが2軒で6つ星の快挙を記録しているが、2軒とも通年営業で6つ星というのはデュキャスが初である。)
デュキャスがジョエル・ロビュションの後を継ぐ形で一昨年夏パリに進出し、当時すでに3つ星であったモンテ・カルロのLOUIS
XVと、新しいパリの店で合計6つの星になるかと注目されたが、パリの ≪ ALAIN DUCASSE ≫は昨年初登場で3つ星を獲得したものの、≪
LOUIS XV ≫が星を1つ落としたため実現していなかった。
(余談であるが、フィガロ紙が伝えるところによると、昨年のミシュラン発売時に合わせて、デュキャスはニュース専門のFM局フランス・アンフォに、2つの声明文を用意していたと言う。
1つは6つの星を獲得してミシュラン社に感謝の意を表するもの、もう1つは、それが実現しなかった場合のためのもの。昨年は結局後者が流れることとなった。)
●ピエール・ガニェールは、フランス中部の町サン・テチエンヌで、その独創的な料理が評価され一時3つ星を獲得したものの、経営難で閉店。一昨年パリで再起を図り、97年版では初登場で2つ星を獲得。今年は続いて3つ目の星も獲得し、雪辱を果たした形になった。
●予想が最も難しかったのが、
≪ JARDIN DES SENS ≫の昇格であろう。2つ星の中には、昇格が有力視されてしばしば話題にのぼる店もあるが、33才の双子プルセル兄弟のこの店は、どちらかと言えばむしろ地道に評価を上げていき、最終的には他の店を押さえてトップに登りつめたと言えよう。
また、ミシュランに先立ち「ゴー・ミヨ1998年版(97年秋発売)」も、「今年の注目シェフCHEF
DE L'ANNEE」にプルセル兄弟を選んでいたことは記憶に新しい。
さて、昨年版で3つ星評価を得ていた店については、今年は安泰。つまり、今年は3店増で、3つ星レストランの数は合計21店になった。
一度に3店もの店が3つ星に昇格するのは、近年では異例のことで、1973年に4店が一度に昇格して以来の大きな動きになる。過去には、このほか1953年にも4店の昇格という記録が残っている。
また、3つ星レストランの数21店というのは、1981年と1982年に例があるが、これに並ぶミシュラン史上最多タイの数字である。
3月5日発行のロテルリー紙に掲載された新規3つ星3店のシェフのコメントは次の通り。
「ミシュランが考え方を変えたということは、いいことだ。」アラン・デュキャス
「ミシュランが考え方を変えたということは、いいことだと思う。
去年、私に一挙に6つの星を与えるといのは、ちょっと革新的になりすぎるということだったのかもしれないし、ミシュランとしてはそこまで踏み込めなかったんだろう。
でも、これは業界にとってもいいことだと思う。こういう風に考え方を新しくしていくことは必要なことだし、働く人間達にとっても自分達のしている仕事が報われるというのはとても大事なことなんだ。
難しい時代ではあるけれど、やる気のある若い連中はまだいるし、私としてはそういう若者達をずっと大事にしていきたいと思う。現在、うちの店を巣立っていった料理人が世界中に85人もいる。
フランス料理のイメージにとってこれは実に素晴らしいことだ。若手の育成について語っていくことは自分にとって一番大切なことだと思っている。」
「義務を果たした、という気持ちだ。」ピエール・ガニェール
「義務を果たした、という気持ちだ。
我々がやっていることを信じてくれて、我々の再出発を応援してくれた人々の期待を裏切らずに済んだというか。雪辱とかいう気持ちは全くないんだ。それよりも時計の針を元に戻して、自分が信じている料理で、これで再出発ができると感じている。
料理というのは一番本質的な部分で動いてきた。そこには新しい料理も、古い料理もなくて、ただ単に、人を幸せにするために心をこめて作る美味しい料理というものがあるだけだと思う。」
「私達の予想では、自分達よりも前に他のシェフ達がいると思っていた。」ジャック&ロラン・プルセル
「私達の予想では、自分達よりも前に他のシェフ達がいると思っていたんです。でももちろんとても幸せな気分です。
今回選ばれたことに対しては、特に説明するべきことはないけれど、ミシュランはずっとうちの店のことを注意して見ていたんだと思います。地理的にユージェニー・レ・バン(3つ星のミッシェル・ゲラールの店がある)とモンテ・カルロ(アラン・デュキャスのLOUIS
XVがある)の間に位置しているのもうまく作用したのかもしれません。
いずれにしてもミシュランの人間は秘密裏に行動するから、それとわかるのは至難の業です。でもこんな事になると、どうしてもいろいろと考えさせられるなって思います。
特に、3つ星の料理に慣れた人達を標的に入れて、自分達は変わらなくてもいいのかって。でも自分達は変わりたいとは思わないんです。現在の自分達に対して、3つ星が与えられたのであって、これから先の自分達に与えられたわけではないですから。」
プルセル兄弟は、1964年9月13日生まれ。現在33才。これはアラン・デュキャスが ≪ LOUIS XV ≫で初めて3つ星を獲得した年齢と同じで、記録的な若さでの栄誉である。
ジャックとロランは、エロー県(HERAULT)のぶどう栽培農家の息子として生まれた。いつの頃からか、二人三脚で自分達の料理店を持ちたいと思うようになったという。
モンプリエの調理師学校を卒業して、1988年11月、24才で自分達の店を持つまで、ロランは料理人として、ミッシェル・ブラスやアラン・シャペルのもとで、ジャックは製菓職人として、ミッシェル・トラマ、マルク・ムノー、ピエール・ガニェールなどの店で、それぞれ修行を積んだ。ブラス、ガニェールの弟子を自認する二人は「これらのシェフ達が急上昇していく時期に、この世界に入れたのは幸運だったと思う。」と語る。
料理に対しては、「自分達の料理はシンプルで、余計なものを一切はぶいたもの。それは、自分がこの店の客だったとしたら、こんなものを食べたいというものなんです。
一皿の料理は、それを構成する全ての要素が相互に浸透し合って、はじめて完成したものになると思っています。それには、材料、火の通し具合、付け合わせ、それが盛られる皿のことまで考慮しなければなりません。」と言い、
また「今やあまりにも多くの人が、ガストロノミーと言うと、800フランも900フランもお金を出して、たくさんの装飾品に囲まれて、料理は少ししか出てこない、といったことを想像する。星つきレストランはお客をがっかりさせてはいけないんです。」と語る通り、値段設定は極力抑え、その分は、来店する客数を上げることでカバーしている。
実際、1997年の実績では、毎月コンスタントに2500〜3000名の客が来店し、その平均単価は540フランであるという。
大学都市で知られるモンプリエの郊外にようやく手に入れた店を自分達の手で手直しし、親友でありソムリエを努めるオリヴィエ・シャトーと3人で始めた店も、今や14の客室を持つホテル部分を加え、「ルレ・エ・シャトー」に加盟。最近は30ヘクタールのぶどう畑も手に入れ、シラー種やグルナッシュ種から赤ワインを作っていくつもりだという。
●1998年版その他の動き
「昇格」したのは、合計38店。このうち3つ星が3店、2つ星が4店、1つ星が31店という内訳になる。
反対に、星を失った店は、2つ星からの降格が5店、1つ星から星なしへは47店にのぼる。2つ星からの降格の中には、タロワルの老舗
≪ AUBERGE DU PERE BISE ≫が含まれている。
●数字で見たミシュラン1998
「ミシュラン・フランス1998年版」に収録されているのは、ホテル、レストラン合わせて9652軒。このうち、ホテルが5767軒、レストランが3885軒。レストランの中には、3つ星21軒、2つ星70軒、1つ星405軒、合計496軒の、いわゆる「星つきレストラン」が含まれる。