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フランス・イタリア料理


人物

辻 静雄
解説 1933年(昭和8年)、東京に生まれる。
1957年、早稲田大学文学部フランス文学科卒業。大阪読売新聞社の社会部記者を経て、1960年、大阪あべの辻調理師専門学校を設立。以後、大阪、東京、フランスに8校ある辻調理師専門学校グループ校の校長として料理教育に従事する。その間、日本のフランス料理の研究、普及に尽力したことに対して、フランス政府よりM.O.F.(フランス最優秀料理人名誉賞)を日本人として初めて贈られた。1993年3月2日死去。

日本

出典

辻静雄著『料理に究極なし』文藝春秋



人物

オーギュスト・エスコフィエ
解説 AUGUSTE ESCOFFEIR(1846-1935)
ニース伯爵領ヴィルヌーヴ・ルベ生まれ。ニースで見習い期間を過ごし、ついでパリに上って料理人としてのキャリアを積んだが、モンテカルロの「グラン・トテル」でのセザール・リッツとの出会いが、エスコフィエの国際的な名声の第1歩となった。パリの「リッツ」の開業の後ロンドンに渡り、1921年の引退まで「カールトン」にとどまる。料理技術の簡素化、過剰な装飾の廃止、「ギド・キュリネール」をはじめとする著作による料理のレパートリーの集大成、調理場の組織の近代化など、数々のエスコフィエの業績が、まさに現代料理の礎となっている。

フランス

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人物

プロスペル・モンタニェ
解説 PROSPER MONTAGNE(1865-1948)
オード県カルカッソンヌ生まれ。地元で見習い期間を終えるとパリやモナコの大ホテルでキャリアを積み、やがてパリの「ルドワイヤン」、「グラン・トテル」などの料理長を務めるにいたったが、1920年、自ら開いた「シェ・モンタニェ」では経営に失敗し数年で閉店を余儀なくされた。著作も数多くいずれも料理史上に残るもので、なかでも、ゴットシャルク博士との共著「ラルース・ガストロノミック」(1938)は不滅の業績である。

フランス

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人物

キュルノンスキー
解説 CURNONSKY(1872-1956)
メーヌ・エ・ロワール県アンジェ生まれ。本名はモーリス・エドモン・サイヤン。20世紀前半を代表する美食評論家として、新聞への執筆や著作多数。1926年には新聞紙上のアンケートで「美食のプリンス」に選ばれる。地方料理の再発見を提唱し、全28巻におよぶ「美食のフランス」を著した。

フランス

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人物

アンドレ・ピック
解説 ANDRE PIC(1893-1984)
アルデシュ県サン・ペレ生まれ。ローヌ地方で修行を積んだ後、36年に南仏の入口ヴァランスの町でレストランを開業する。39年にミシュランの3ツ星を得た。フェルナン・ポワン、アレクサンドル・デュメーヌとともに、戦間期のフランスの3大シェフと讃えられる。

フランス

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人物

アレクサンドル・デュメーヌ
解説 ALEXANDRE DUMAINE (1895-1974)
ソーヌ・エ・ロワール県のディゴワン生まれ。主に、パリ、ヴィシー、カンヌなどの大ホテルでキャリアを積み、北アフリカのホテルチェーンでも総料理長として活躍した経験を持つ。1932年、コート・ドール県ソーリューにホテル・レストラン「コート・ドール」を開店、1951年にはミシュランの3ツ星を得た。1964年に引退。

フランス

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人物

フェルナン・ポワン
解説 FERNAND POINT(1897-1955)
ソーヌ・エ・ロワール県ルーアン生まれ。パリで修業を積んだ後、ローヌ川沿いの古都ヴィエンヌで父が経営していたレストラン「ピラミッド」を1924年に受け継ぎ、1933年にはミシュランの3ツ星を得た。料理の簡素化、素材の風味の尊重など現代料理の基礎となる原則を打ち立てた。アレクサンドル・デュメーヌ、アンドレ・ピックとともに、3大料理人と讃えられる。ポール・ボキューズ、アラン・シャペル、ルイ・ウーティエ、トロワグロ兄弟などが「ピラミッド」の調理場で育っている。

フランス

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人物

エーベルラン兄弟
解説 ポール・エーベルランPaul Haeberlin(1923〜)
ジャン=ピエール・エーベルランJean-Pierre Haeberlin(1926〜)
マルク・エーベルランMarc Haeberlin(1954〜)
いずれもオー=ラン県イローゼルン生まれ。エーベルラン一家は1880年代からイル川のほとりでレストランを営み、地元の人々に「アルブル・ヴェール(緑の木)」と呼ばれて親しまれていた。ポールは一家のレストランで働く母や叔母の傍らで料理を始め、やがてリヴォーヴィレ「ラ・ペピニエール」、パリの「ラ・ロティスリー・ペリグルディーヌ」などで修業。一方ジャン=ピエールは美術学校に学び、建築家を志す。やがて1950年に、2人は力を合わせ、第2次世界大戦中に戦災にあって閉店していた家業を「オーベルジュ・ド・リル」の名で再開。ポールが調理場、ジャン=ピエールがサービスや設備面を担当。1952年ミシュラン1つ星、57年に2つ星、67年3つ星を獲得、現在に至る。ポールの息子のマルクは「トロワグロ」「ボキューズ」などで修業。ルノートルの製菓学校にも学ぶ。現在「オーベルジュ・ド・リル」の調理場を預かる。今でも一家をあげてレストランの仕事に関わりを持ち、洗練された中にも家族的なもてなしで客をむかえている。

フランス

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人物

トロワグロ兄弟
解説 Jean Troisgros(1926−1983)
Pierre Troisgros(1928−)
ソーヌ=エ=ロワール県シャロン=シュル=ソーヌ生まれ。兄弟そろってパリ「リュカ・カルトン」、ヴィエンヌ「ピラミッド」などのレストランで修業。ポワンに大きな影響を受ける。「ピラミッド」での修業時代はボキューズともいっしょだった。1953年、ロワレ県ロアンヌに「レ・フレール・トロワグロ(現トロワグロ)」を開店。兄のジャンは1965年にM.O.F.受賞。レストランとしては、1968年にミシュラン3つ星を獲得。「トロワグロ」はジャンの没後も現在(98年)まで3つ星を維持しつづけている。

フランス
リンク http://www.relaischateaux.fr/
troisgros/troisgros-fr.htm

出典



人物

ポール・ボキューズ
解説 PAUL BOCUSE(1926- )
ローヌ県コロンジュ・オ・モンドール生まれ。リヨンの「メール・ブラジエ」などで見習い期間を過ごし、パリでもキャリアを積んだが、「ピラミッド」のフェルナン・ポワンに大きな影響をを受けた。1959年に生家のレストランを継いで、61年にはM.O.F.(フランス最優秀料理人賞)を受賞、65年に得たミシュランの3ツ星を30年以上に渡って維持している。70年代にはヌーヴェル・キュイジーヌの旗手とみなされていたが、現在はクラシックへの回帰を説き、国際的な知名度とともに現代フランス料理界でも別格の存在である。

フランス

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人物

フェルナン・ポワン
解説 FERNAND POINT(1897-1955)
ソーヌ・エ・ロワール県ルーアン生まれ。パリで修業を積んだ後、ローヌ川沿いの古都ヴィエンヌで父が経営していたレストラン「ピラミッド」を1924年に受け継ぎ、1933年にはミシュランの3ツ星を得た。料理の簡素化、素材の風味の尊重など現代料理の基礎となる原則を打ち立てた。アレクサンドル・デュメーヌ、アンドレ・ピックとともに、3大料理人と讃えられる。ポール・ボキューズ、アラン・シャペル、ルイ・ウーティエ、トロワグロ兄弟などが「ピラミッド」の調理場で育っている。

フランス

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人物

フランソワ・ビーズ
解説 (1928−1984)
オート=サヴォワ県タロワール生まれ。アヌシー湖のほとりで「オーベルジュ・デュ・ペール・ビーズ」を経営する両親(マリウスとマルグリット・ビーズMarius et Marguerite Bise)のもとに育ち、父の友人であったポワンのレストラン「ピラミッド」や、パリの「リュカ・カルトン」「ラリュ」で修業。1951年「ペール・ビーズ」がミシュランの3つ星を獲得した年に帰郷。1965年に調理場を担当していた母親が亡くなり、1968年に父も失った後、レストランを引き継ぎ、1982年まで連続して3つ星を維持。

フランス
リンク http://www.silicone.fr/bise/

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人物

ルイ・ウーティエ
解説 Louis Outhier(1930−)
テリトワール・ド・ベルフォール県ベルフォール生まれ。1951から53年にかけてレストラン「ピラミッド」のポワンのもとで修業。1956年カンヌに近いラ・ナプールに「ロアジス」を開店。小さな下宿屋からはじめた店をミシュランの星つきの名店にまで発展させる。1970年から87年にかけてミシュラン3つ星を維持する一方、バンコクのオリエンタルホテルや日本のホテル・プラザの料理顧問を務めるなど、世界各地で活躍する(1988年、ウーティエは突然引退を宣言し、ロアジスは閉店した)。

フランス
リンク

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人物

クロード・ペロー
解説 Claude Peyrot(1931−)
ヴィヴァレ地方のアルデーシュ生まれ。レストラン「ピラミッド」のポワンの薫陶を受ける。1966年パリ16区のビクトル・ユゴー通りに「ヴィヴァロワ」を開店。ヌーヴェル・キュイジーヌの旗頭と言われ、1972年にミシュラン3つ星を獲得(1983以降2つ星)。

フランス
リンク expedia.msn.com

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人物

アラン・シャペル
解説 Alain Chapel(1937−1990)
ローヌ県リヨン生まれ。父親はリヨン近郊のミヨネーでレストラン「メール・シャルル」を経営。15才で当時のリヨンの有名レストラン「シェ・ジュリエット」で料理人の修業を始め、その後、ヴィエンヌの「ピラミッド」で働く。1967年に父親のレストランを継ぎ、1973年、「アラン・シャペル」と名前を変え、ミシュランの3つ星を獲得。

フランス
リンク http://194.79.131.35/chapel/

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人物

ジョエル・ロビュション
解説 (1945〜)
ヴィエンヌ県ポワティエ生まれ。両親は料理とは無縁だったが、15歳で料理の道に入る。パリのレストラン「ベルクレー」ほか各地で修業を積み、69年からは「コンコルド・ラファイエット」などいくつかのホテルでシェフを務めた。76年M.O.F.受賞。
81年ホテル・ニッコー・ド・パリのレストラン「レ・セレブリテ」でミシュラン2つ星を獲得。81年パリ16区の「ジャマン」を買い取り、オーナーシェフになる。
その後ミシュランの3つ星、ゴー・ミヨーの最高点を獲得。94年「ジョエル・ロビュション」開店。同年日本東京恵比寿に「タイユバン・ロビュション」出店。96年引退を宣言し、パリの店は人に譲ったが、以後も弟子たちの後援や料理事業のコンサルテ
ィング、テレビ番組などでも活躍。著著も多い。 “天才料理人”と呼ばれる。

フランス
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