ーモンドと言えば子供の頃に食べた「あるメーカーのアーモンドチョコレート」を思い出します。今考えると洋菓子の世界に飛び込むきっかけになったようです。
駄菓子ばかり食べていた私にとって、初めて食べた香ばしく炒られたアーモンドとチョコレートの組み合わせは、「不思議の国のアリス」と同じように、夢の世界に将来の夢を馳せる火種の一つであったように思えます。

修時代はというと、大きな両手鍋で茹がき山と積まれたアーモンドの薄皮を、指先が痛くなるまで剥くのが昼食後の仕事でした。日本で見るようなスマートで形の良いアーモンド(カリフォルニア産)ではなく、扁平でずんぐりした不揃いのアーモンドです。しかし、これが食べると香り高く、味も甘味があってたいへん美味しいのです。日本で食べたアーモンドと比べると数段の違い。ヨーロッパ人がアーモンドを使って作ったお菓子を好むのがよく分かりました。
しかし、初めの頃は、一緒に働いていた仲間によくだまされました。仲間は剥きたてのアーモンドを口にほうばりながら何気なく、美味しいから、と私にも一粒分けてくれるのです。無心に働いていた私は何の躊躇もなく口に入れ食べようとしたのですが、とたん、口一杯に渋柿を噛んだ時のように渋味が広がり、いてもたってもいられなくなって蛇口に走り込んだことが何度となくありました。くれたのはビターアーモンドでした。
目の前のアーモンドは殆どがスイートアーモンドですが、なかに数個のビターアーモンドがまぎれこんでいるのです。ところが、アーモンドの香りはこの一粒で倍増してしまいます。

のアーモンドを使って作る材料で、大変な肉体労働を強いるのはプラリーヌ(PRALINE)とマジパン(PATE D'AMANDE)作りでした。
マジパンは渋皮を剥いて乾燥させたアーモンドに煮詰めたシロップを加え混ぜ、シロップを蝋状に冷やし固めて、機械(MACHINE BROYEUSE)でペースト状にしたものです。こちらは、まだ機械を使って作るので肉体的には何の苦痛もないのですが、問題はプラリーヌのほうです。直径1メートルもあろうかと思われる大ボウルに、水と砂糖を入れて沸騰させ、皮付きのアーモンドを加えて煮詰める。アーモンドがシロップから頭を出す状態まで煮詰まれば火を消し、大きな木杓子でシロップが糖化するまでよく混ぜ合わせる。これをザルでふるい分け、アーモンドを再びボールにもどして表面の砂糖を軽く溶かして、取り分けた砂糖を表面にからみつけていく。この操作は、テクニックと力を必要とし、また危険も伴います。ボールに触ろうものなら火傷ではすまない、身がえぐれた状態になってしまう大変危険な作業でした。

校でもたまに作ったりするのですが、そんなとき、研修時代の冬のある祭日を思い出します。毛皮のコートを着た上品そうな婦人が、路上で小さなボウルを使ってこのプラリネを器用に作り、袋に詰めて売っていました。アンバランスな光景になぜか身が固まった若い時の想いが蘇えってきます。
日本でも何時かこんな風景が見られるかも知れない・・・。








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