35 紀貫之

貞観12(870)年前後〜天慶8(945)年か。平安時代の名実共にすぐれた歌人であり、文学者です。33番歌の作者紀友則とはいとこです。

まず、彼は、ひらがなで日記を書いた最初の男性です。ひらがなは平安時代、日本人が漢字を変形させてつくったものです。かな文字とも、女文字ともいい、主に女性が使うもので、男性は私的な場でしか使いませんでした。当時、知識人の男性は当然のたしなみとして漢文ができ、学問はもとより、政治上の重要な事柄、記録書、などにはすべて漢文が使われていました。正式な文章(文字)は漢文(漢字)という意識があったのです。

このような中で、貫之はかな文字を使って日記を書いたのです。それまでは行事やしきたりの公的な記録として捉えられていた日記を、自分の体験した私的な内容の記録として書いたのも革新的です。日記の名前は『土佐日記』。「男の人が書くという日記というものを女である私も書いてみようと思ってはじめるのです。」と終始女性を装って書いています。この日記の発表は、当時、ちょっとした文壇革命だったことでしょう。

また、『古今和歌集』の編者の中心人物でもありました。残っている彼の和歌は800首あまり。優雅で理知的な歌風だと評価されます。

さて、歌のほうですが、直訳すると
「人の心はさぁどうだか分からないけれど、ふるさと(かつてよく訪れた場所)に咲く梅の花の香りは昔と変わらないものです」となります。

『古今和歌集』をひもとくと歌の読まれた状況が分かります。貫之はある日、長谷寺参詣のために何度か泊まったことのある家に久しぶりに行ってみました。すると、家の主人は「あなたのお泊りになる家はこのとおり昔と変わらぬままにありますのに……」と、長らく訪問がなかった事に恨み言をいいます。このとき即興で返したのがこの和歌です。つまり、「私の無沙汰を責めるが、あなたの気持だってどんなものだか分からない。梅の香りは少しも変わっていないけれどもなぁ。」というようなニュアンスです。さて、問題の宿の主人は男性か、それとも女性か。
男性であったなら、恋人同士のふりをして即興のやり取りを2人で楽しんだことになりますが、女性だったらもう少し深刻。

さて、これを和菓子にしてみると…。

重松 麻希

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