81 後徳大寺左大臣

保延5(1139)年〜建久2(1191)年。平安時代末期の歌人です。本名は藤原実定(さねさだ)。おじいさんが徳大寺左大臣と呼ばれたので、彼は「後」をつけて呼ばれました。この人物も、藤原定家(『百人一首』の編者とされる人)のいとこです。

家は代々続く名門貴族で、経済力があり、かなり多くの蔵書もあったようです。86番の作者西行(さいぎょう)も出入りしていたとか。実定は今様(流行歌)の作者、神楽の名手としても知られ、博学であったとも伝えられます。今でいうならさしずめ、作詞作曲に歌やダンスまでこなす頭の切れる有名人といったところでしょう。

歌のほうは、写実的です。
心待ちにしていたほととぎすの鳴き声がした。(あわてて)声のした方を見やっても(姿は見えず)有明けの月だけが空に残っているだけだ。

ほととぎすは夏を告げる鳥で、日本の文学作品では欠かすことができません。平安時代は、姿を見せず夜に鳴くものとされ、その鳴き声を聞くために徹夜をしてまで待つと和歌に詠まれました。この歌にも、ほととぎすの鳴き声を待ち続けた作者の思いが見えます。人々の心を騒がせるその声は「てっぺんかけたか」と聞こえます。現在、都会でも少し郊外に行くと聞こえるのですが……。心地よい鳴き声はなんと電話の呼び出し音にも使われています。

さて、これを和菓子にしてみると…。

重松 麻希

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