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オーベルジュ・ド・リル

「レストラン「オーベルジュ・ド・リル」は、アルザス地方のストラスブールより約60km南、人口約550人の小村イローゼルンにある。イル川の畔、流れに影を落とす柳の緑に囲まれた店の静かなたたずまいは、詩情をさえ漂わせる。100年以上の歴史を誇り、村の人々とっては自慢の種であり、大きな名誉ともなっている。」

(辻静雄責任編集『定本 現代フランス料理技法全6巻』
vol.2 魚料理 主婦の友社1985年)


オーベルジュ・ド・リル

「ストラスブールから南の方へ、つまりコルマールの方へおりていくと、五〇キロほど走った所でセレスタットという標識がでてくる。毎年のように訪れるくせに、私はこの村で左へ曲がらなければいけないのに、つい通り過ぎてしまうのでいつも閉口するぐらい、仲々わかりにくい所にあるレストランなのだ。」

(辻静雄著『ヨーロッパ一等旅行』新潮文庫1984年)

ミシュランの道路地図を見るとセレスタットから南に10kmほどの所に自動車道路の出口があり、そこから西へイローゼルンへ向う道がある(コルマールからは北に17km)。このあたりはフランスのアルザス地方で、イローゼルンからさらに西に15〜6kmも行けば、そこはライン川が流れるドイツとの国境である。

アルザス地方は、フランス領かドイツ領かの変遷を繰り返した地域で、文化的にも言語的にも、双方の特徴を併せ持ったような、それでいて全く独自のものが受け継がれている。

1880年頃に、エーベルラン一家はイル川にかかる橋のたもとに「アルブル・ヴェール(緑の木)」という名前のレストランを開いた。それから50年余り、アルブル・ヴェールは地元の人が気軽に食事をする店としてこの地に根をはり続ける。そしてポールとジャン=ピエールの兄弟は、母と伯母がきりもりするこのレストランで生まれた。

やがて第二次世界大戦の勃発。そして1940年の初夏、フランス軍はドイツの侵攻をはばむためイル川にかかる橋を爆破し、エーベルラン一家のレストランも倒壊してしまう。(このあとパリ陥落までひと月とかからなかった)。

この災難のために、戦後になって家業の再興のために兄弟が力を合わせざるを得なくなったことがすばらしい結果を生み、田舎の食堂であった店を、現在の世界的な名店へと変えたのである。1949年にアルブル・ヴェールは、「オーベルジュ・ド・リル(料亭旅館イル川とでもいうような意)」として生まれ変わった。3年後にははやくもミシュランの1つ星にランキング。1954年にポールの息子マルク誕生。そして1957年ミシュラン2つ星に昇格。67年にはついに3つ星を獲得し、その地位は息子マルクに厨房の主権がゆずられてのちも変わることなく、現在(2000年)まで30年以上にわたって守られつづけている。

《客はフランス各地、ドイツ、スイス、ベルギーから訪れる》
なにしろ、フランスでも指折りと言われる料理を求めて、郵便局もパン屋もないこの片田舎をはるばる訪れる人たちで、120席余りの客席は昼も夜も満席。お客の車のナンバーを見ると、パリをはじめとするフランス国内は言うに及ばず、場所柄、ドイツ、スイス、ベルギーなどからのものも多い。お客に合わせ、サービスの人たちも、フランス語、ドイツ語、それに土地の<アルザス方言>を流暢に操る。あるシャンパン会社の社長が自家用ヘリコプターでやってきて、驚かされたこともあった。


エーベルラン兄弟


《料理長と支配人の絶妙なコンビ》

このレストランを支えているのは、ポールとジャン=ピエールのエーベルラン兄弟である。2人が主人であると同時に、それぞれ料理長と支配人を兼ねる。弟のジャン=ピエールは、きめこまかなサービスに努める一方、絵画にもたけ、その才能が店内のしつらいにも生かされている。

(肥田順筆『定本 現代フランス料理技法全6巻』
vol.2魚料理より)
現在の料理長はポールの息子マルクだが、一家そろってオーベルジュ・ド・リルの運営に協力しようという姿勢は変わっていない。


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