www.tsuji.ac.jp 辻調グループ校 学校案内サイト www.tsujicho.com 辻調グループ校 総合サイト blog.tsuji.ac.jp/column/ 辻調グループ校 「食」のコラム



 『モンドおよびその他の物語集』
 ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ

 ― 原題Mondo et autres histoires より「モンド」


マカロン 



 ある日モンドは町を見下ろす丘に独りのぼることにする。町はずれのジグザグの階段をゆっくりした足取りで、コショウの葉やスイカズラの花に触れてにおいをかぎながら、飛ぶ鳥やバッタの音を感じながら、サラマンダーを横目に見ながら、進んでいく。丘をのぼるほどに、太陽の光は黄色く柔らかく感じられ、まるで木の葉や古い壁石から発しているようだった。日中、大地に沁みこんでいた光が今出てきて、熱を放ち、その雲を膨らませていた。
  丘の上には「金色の光の家」があった。イタリア風で黄橙色の漆喰の古い美しい家。草や潅木が茂る雑然とした庭が周りを囲む。何よりもきれいだったのは、その家を包む光で(モンドが名づけた所以である)、午後も終わりの太陽の光はとても柔らかで穏やかな色を帯びており、秋の葉か砂のように暖かく、人を浸して酔わせるようだった。モンドはうっとりした気持ちになり、月桂樹の強い匂いと土から立ちのぼる湿気の中で眠りに落ちる。
  呼びかける声でモンドは目を覚ます。この家に独り住むベトナム人ティ・シンだった。彼女は家の中にモンドを案内する。部屋は、窓から差し込むこれまでモンドが見たこともないぐらいもっと熱い金色の光で満ちていた。お腹の空いたモンドにティ・シンは、熱い金色のお茶とマカロンのいっぱい入ったブリキの缶を差し出す。
  そうやって二人は知り合い、いつでも好きな時に家に来ていい、とティ・シンは告げる。彼女は年齢や両親のことなどモンドが答えられないような質問はしないで、ただ一緒に庭を散歩したり、星を見たり、お話を読み聞かせたり、ごはんを出したりする。モンドはお返しに、海岸で見つけた貝殻やカモメの羽根をプレゼントする。

 



(ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ著/Gallimard )

●作者紹介 

ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ

  現代フランスを代表する作家。1940年フランスのニース生まれ。幼、少年期を同地で過ごし、またニースの大学で文学を学ぶ。1963年に発表したデビュー小説『調書』でフランスの五大文学賞の1つ、ルノドー賞*を受賞し、文筆生活に入る。65年に短編集『発熱』、66年小説『洪水』などを発表、また、この頃メキシコに何度も滞在し、メキシコの大学で教鞭も取る。その後も70年代に『戦争』『巨人たち』『モンドおよびその他の物語集』、80年代に『砂漠』『黄金探索者』『メキシコの夢』、90年以降は『オニチャ』『さまよえる星』『パワナ』など、多数の小説やエッセイを発表、いずれもベストセラーとなり、いまやその人気は不動のものになっている。また、アステカ文明やマヤ文明に関する著作や訳書も出している。

*ルノドー賞:フランスでも指折りの文学賞の1つ。対象は小説で、1926年から毎年授賞が始まった。名前は、フランスで最初といわれる新聞《ガゼットGazette》を1631年に発刊したテオフラスト・ルノドー (1586〜1653)にちなむ。日本でも有名なゴンクール賞と同時期に授与され、時としてゴンクール賞選考に対する異議申立ての意味もあるという。ル・クレジオの場合、ゴンクール賞に落選した処女作がルノドー賞に選ばれたという逸話がある。


MONDO(movie)

●作品紹介

1978年発表。『モンドおよびその他の物語集』は、ル・クレジオの短編集としては2作目のもの。所収されている物語はいずれも子供が主人公、あるいは子供の眼を通して見た世界が描かれている。それまでの彼の作品には、現代文明の絶えまない戦いという視点から苦悶や不安が表現されていたが、この短編集は転換点といえる。

 「モンド」は、主人公の少年の名前で、年齢は10歳ぐらい。いつのまにか、どこからか、この海辺の町にやってきて住みついた。一日中気ままに町の中を歩き回り、何でも食べ、どこででも寝る暮らしをする。通りで気に入った人を見つけると、眼をきらきらさせながらじっと見つめてこういうのが口癖、「僕を養子にしてくれませんか?」。町の人々も、きれいな黒い眼をしたモンドにいつのまにか慣れていった。
 とりわけ仲良くなったのは、鳩と一緒にいつも広場にいるダディ爺さんやその友達の大道芸人、もの静かなベトナム人の老女ティ・シン、砂浜をならす仕事をしている老人(その人は文字を教えてくれた上に、海の向こうの遠い国のお話もしてくれる)、そして「オクシトン」という名の船…。
  ある日、疲れきって町中で倒れ込んだモンドは役人の手で救護施設に送られてしまう。いつもなら、野犬狩りや浮浪児を捕まえる警官たちから巧みに逃れていたのに。
  町からモンドがいなくなって、何かが変わってしまった。モンドの友達の生活もどこか狂ってしまった。そしてもう誰も、青い空やそこに浮かぶ雲や星、浜辺の変わった形の小石や波のことなんか考えなくなり、遠い国は永遠に見果てぬ国になってしまうのだった。





モンド、君は誰?

 モンドと心を通い合わせるのは、 「周辺の人々」と言えるかもしれない。決して、町の政治を動かしたり、人々を取り締まったり、商売が当たって大儲けした人ではなく、広場に一日中座って鳩と一緒にひなたぼっこをするダディ爺さんであり、手品をして通り掛かりの人から拍手と小銭を受け取ってその日暮らしをする大道芸人であり、海岸の小石に文字を刻んで読み方を教えてくれる老人である。ティ・シンもうら寂れた丘に住む、祖国を離れたベトナム人である。

  彼らは家族や国といった概念とは遠いところに存在している。ややもすると、自己存在の根幹に不安を覚え、帰属する社会がないことから疎外感に陥り、孤独感から逃れられなくなるかもしれない。だがこの物語の中には火(太陽、サラマンダー)、水(海、波)、空気(風)や、空(星、雲)、動植物の描写がふんだんに盛り込まれ、モンドを始め、彼と笑顔を交わした人は、身近な自然に守られて、そんな感情とは無縁だ。



 ル・クレジオは故郷の南仏ニースを頭に置いてこの物語を書いたと思われる。幼少期の小さな風景を一つ一つ思い起こしながら、空間的な郷愁と、子供の本質は変わらないという理想を込めて書いたのではないだろうか。 彼はあるインタビューで「ニースは小都会以上の巨大都市である」と答えており、その都会的世界から逃れる唯一の方法は浜辺に行くことだ、と続ける。これはモンドが、人込みよりも海に突き出た波よけのブロックの上を歩くことのほうを好むのに通じるだろうし、モンドが海の向こうの知らない国に思いを寄せるあたりは、作者が子供の頃、父親に会いにアフリカへ船旅をした事実を思い出させる。
  モンド、自分の誕生日も生まれた場所も家族のことも何も知らない主人公の顔の一つは、作者自身なのかもしれない。



酒井 知子





辻調グループ 最新情報はこちらから