■食評論家アンリ・ゴー氏逝去


フランス人ジャーナリスト、アンリ・ゴー氏が7月10日の夜、ヴァンデ県の別荘で心臓発作のため逝去した。70歳だった。

ゴー氏は1969年、クリスチャン・ミヨ氏とともにグルメ雑誌『ゴー・ミヨ』を創刊。続いて1972年に発刊した同名のレストランガイド書『ゴー・ミヨ』は、料理だけでなくサーヴィスやレストランの雰囲気までを軽妙なコメントで批評するという新しいスタイルで、『ミシュラン・ガイド』と並ぶ人気を集めた。

また、ゴー氏は"ヌーヴェル・キュイジーヌ"を提起し、現在"グラン・シェフ"として名高いボキューズ、ゲラール、マニエール、サンドランスなどを積極的に紹介した人物としても知られている。("ヌーベル・キュイジーヌ"とは、惰性に陥った料理から脱却しようとする若手料理
長を顕彰するために彼らが提起した標語で、「新しい料理」の意)

辻調グループフランス校でも食評論についての講義をしていただいたゴー氏のご冥福を心からお祈りいたします。

以下は7月10日付けの共同通信の記事より抜粋。

ゴー・ミヨ誌記者のリュック・デュバンシェ氏は、共同通信に対し、「まるで父親を亡くしたような気持ちだ」と語っている。
「彼はとても活動的な人だった。我々は彼の助言と友情を享受し、彼の言うことに常に耳を傾けていた。彼は根っからの情熱家であり、異常なまでのエネルギーに満ちた人だった。まだまだ夢中になって熱くレストランや食について話すことができたのに」

一方、クリスチャン・ミヨ氏はこう語っている。
2人は『Paris-Presse パリ・プレス』で知り合った。

「長い冒険だったよ。彼とは、1961年に20万部を売り上げた『ギッド・ジュイヤール・ドゥ・パリ』の発行以来、いくつもの本をつくってきた。まるで夫婦生活のようだったよ」

「(『ゴー・ミヨ』は)新しいスタイルだったんだ。それまで『ミシュラン・ガイド』があったとはいえ、レストランやホテルに対するコメントは載っていなかった。我々の意図は、ジャーナリズムのルールとエスプリを、とても伝統的な方法で扱われている分野に適用することにあった。この試みが急激な成功を遂げた理由のひとつはそこにあるかも知れない」

「我々はまったくといっていいほど同じ意見を持たなかった。仕事面でも、政治に関しても。我々は何事にも合意することがなかった。だが、ただ一つ「食」の分野に関してだけは、99パーセント同じ意見だったんだ。レストランについても、人についても、装飾についてもね」

公式声明において、ゴー・ミヨ社はアンリ・ゴー氏への敬意と深い悲しみの意を表明した。

1929年11月4日に生まれたアンリ・ゴー氏は1955年にジャーナリストとしてのキャリアを歩み始める。『Paris-Presse パリ・プレス』『Europe 1 ウーロップ・アン』『Le Point ル・ポワン』をはじめ、『L'Expresse レクスプレス』『Jours de Franceジュール・ド・フランス』『Marie-France マリー・フランス』『Paris-Match パリ・マッチ』『RTL エール・テー・エル』などで仕事をした。

しかし、グラン・シェフも恐れる食評論家アンリ・ゴー氏を頂点に立たせたのは、やはり雑誌『ゴー・ミヨ・マガジン』であり、ミシュランの最大のライバルである同名の美食ガイド『ゴー・ミヨ』なのである。


佐藤 重文






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