www.tsuji.ac.jp 辻調グループ校 学校案内サイト www.tsujicho.com 辻調グループ校 総合サイト blog.tsuji.ac.jp/column/ 辻調グループ校 「食」のコラム




金沢の食文化の特徴


沢は、仕事の関係で何度か訪れました。大阪の町と比べるとこじんまりとしていますが、それでいて結構レベルの高い料理屋さんがたくさんあり、伝統工芸を見学出来る場所もいろいろあって興味尽きないところです。

ところで、金沢の市内に『近江町市場』というのがあります。(この市場については、別の項で詳しくご紹介しています。あわせて御覧下さい。)

この市場に行くと金沢の“食”に対するこだわりが良く分かります。まず、並んでいる食材の豊富なことといったらすごいですよ。感動しました。そして、鮮度の良さ。鮮度は、魚介類だけでなく野菜にも重要です。例えば「連根」は、明らかに掘ってまだ間が無いとわかる、泥がついた状態で店頭に並んでいるんです。よく、スーパーで見かけるようなきれいな蓮根ではないんです。でも、どっちが旨いかと聞かれたら間違いなく泥付きの蓮根でしょうね。

お客さんが、見た目や手間よりも鮮度が良く本当に質の良いものを欲している証拠でしょうね。

金沢の人達の食材へのこだわりは、こんなことからも判断できると思います。蓮根一つ取ってみてもこうなんですから、魚介類は推して知るべし。

で、金沢ではなぜ、このように“食”の文化が発達したのでしょうか。

結論から言えば金沢は、“食”の文化が発展する為の多くの条件がそろっていたからでしょう。

体的に説明しましょう。

まず、一つ目に食材に恵まれた地域であったことが挙げられます。

料理屋さんが、沢山あり市場に豊富な食材が並ぶということは、ひとえに、その土地でとれる魚介類や野菜の質がいいということになります。日本料理は何といっても食材が命です。私は日本料理の出来栄えは、食材が9割で技術は1割だと思っています。金沢の料理は、日本三名山の一つ、白山に源をもつ「水」の旨さと豊穣な加賀平野が作り上げる「野の幸」、そして日本海に突き出た能登半島の港から運ばれる「海の幸」が作り上げているんです。

二つ目に、『京都が近かった』ということがあります。

京都が近いということにどれほどの意味があるのだろうかと思われるかもしれませんが、実は大ありなんです。今でこそ、大都市というのは太平洋側に集中してしまい、日本海側はさびしい限りですが、昔は違いました。以前、教科書で太平洋側を「表日本」、日本海側を「裏日本」と習ったのを記憶していますが、その昔は日本海側が「表日本」だったんです。中国や朝鮮の文化は、地理的に近い日本海側から入ってきて全国に伝えられました。能登半島の発掘調査の記録をみると、明らかに縄文時代に外国の文化が入ってきたのが分かるそうです。

日本海側を表玄関として日本海文化が花開き、京都へも伝えられました。京都は、都で日本の中心的な存在でしたから、すべてのものが集まったんですね。全国の珍味のみならず、外国の文化も伝わりました。特に、仏教伝来を通して食にも影響を受けました。この京の都と交流のあったことがおおいに金沢の“食”に影響を与えています。

そして、三番目に『伝統食品』の存在が挙げられます。

具体的には、加賀麩、魚の糠漬け、魚醤、和菓子などです。

伝統食品と一口に言いますが、これらは我々の先祖の知恵が盛り込まれています。数百年にも渡って伝えられているというのは、それだけで驚くべきことでしょう。それほど“食”を大切にしようとする気持ちの現われではないでしょうか。

まだまだ、他にも“食”の文化が発達した理由はあるでしょう。

私は以上の3点を挙げます。

今では、北陸のこじんまりとした町で、ともすれば「さびれた」というイメージもある金沢ですが、その歴史は長く深く、日本料理を語る上で、また学ぶ者にとって、忘れてはならない町なのです。金沢を学ぶということは日本料理の原点を学ぶことになるのかもしれません。





加賀百万石
と魯山人




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