クロワッサン
croissant




1683年、当時オーストリアはハプスブルク帝国に支配されており、ヨーロッパの覇権をフランスと争っていた。そこへオスマントルコ帝国が領土の拡大を目指し、ユーゴ、ポーランド、ハンガリーを自国のものにし、ウイーンへも触手を延ばしてきていた。ウイーンは包囲されオスマン軍の攻勢を何度も食い止め、ついにはオスマン軍を撃退した。これは、オスマン軍の長期にわたる遠征の疲れと、ウイーン守備軍の健闘、支援軍の到着などに寄るところがおおきかった。これを機にオスマントルコは徐々に衰退していく。

スマントルコのハプスブルク家に対する攻勢は1526年のウイーン遠征から始まる。この長期戦はイスラム世界とキリスト教界の争いでもあり、1683年にそれに勝利したことで反響が大きく、数多くの物語や逸話が生まれることになった。ウイーンの守備軍には市民軍も参戦しており多彩な職業を持った市民で構成されていた。戦後、パン屋にはこの勝利の記念としてトルコの旗印をかたどった三角形のパンを作ることが許され、これがクロワッサンの起源とされている。

の後、このパンはマリーアントワネットによってフランスはパリに伝えられる。ただ、当時のパンは普通の生地を三角にしたパンであった。現在のクロワッサン フィユテになるのは20世紀に入ってからで、一般に普及したのは1920年頃と言われている。おそらくこれはパティシエのフィユタージュからヒントを得て作られたものであろう。

 『Le Gout du Pain 』(オスマン帝国(新書版)) 
 『Le Pain retrouve』





食べ方

焼き上がって間もないクロワッサンはサクサクした口当たりが楽しめますが、1日経ったものは全体が柔らかくなりますので、軽くトーストすると焼き立てのサクサク状態がもどります。

 サンドイッチにする場合は縦、あるいは斜めに切り込み、軽くトーストしてから具をはさみます。





作り方