www.tsuji.ac.jp 辻調グループ校 学校案内サイト www.tsujicho.com 辻調グループ校 総合サイト blog.tsuji.ac.jp/column/ 辻調グループ校 「食」のコラム


にぎり寿司と醤油について

杉浦
江戸前というとにぎり寿司が思い浮かびますが、にぎり寿司の登場する背景はどういったものでしょう?

永山
江戸っ子は鮮魚、刺身が好きでした。刺身文化がなければ出現しなかったでしょうね。寿司屋は、もともと屋台から出てきましたから、大衆料理ですよね。段々洗練されていきますけれど。のちには雰囲気があって清潔なすし屋が出てくる。江戸期のにぎり寿司は、一つ一つの寿司がもっと大きかったと思いますね。江戸時代、庶民にとって米はめったに食べられないもので、白米自体がごちそうでした。また、江戸に出てくる人は東北・中部地方出身が多く、年中白米が食べられないような地域でした。そうすると、余計に白米がごちそうで、その白米の上にいつでも食べたい刺身がのっかるわけですから、人気があるのは当然でしょう。しかも、醤油というのは魚の生臭さを消すのに大変役に立ちます。醤油ができてから寿司が普及していますね。

杉浦
醤油ができるのはいつ頃ですか?

永山
古いと思いますが、普及するのは江戸中期以降ですね。武田信玄が川中島の戦いの時に野田醤油を送ったという記録が残っていると聞いたことがありますから、江戸以前に醤油の原形はあったのでしょう。醤油は「ひしお」ですよね。ひしおは大豆や小麦やあるいは大麦を使って麹を作り、発酵させる味噌と醤油の中間みたいなもんですね。それを絞ってたれを取ります。たれというのはあぶら状のものなので「あぶら」と表現します。「醤油」といいはじめたのには、ひしお(醤)を絞ったトロッとしたあぶら(油)状のものという意味があったのでしょうね。江戸時代最初に醤油はありましたが、どういうものかは分かりません。少なくとも刺身に使うには、日本酒を煮詰めて飛ばして独特の調味料を作るようなものじゃないと生臭みは取れなかったでしょう。それが、江戸中期以降、銚子や野田で作られるようになるんですが、江戸の趣向を分かった人が作ったのでしょう。関東風の濃口醤油が出てくると、関西系の薄口醤油は一気に駆逐されます。これは寿司が普及するのとほとんど同じです。それまでの関西の醤油は煮物にしか使えないというようなことがあったのだと思うのです。天ぷらにだったらつけて食べたかもしれません。

杉浦
先生がおっしゃる関東の醤油とはどんな醤油ですか?

永山
今でいう、たまり醤油のようなものだったと思うのです。上方と決定的に違う醤油ですね。生臭みを抑えます。上方の醤油(薄口醤油)では生臭みは抑えられないんじゃないでしょうか。しかし、薄口醤油を煮物に使えば、色がきれいに仕上がる。たまり醤油では真っ黒になってしまいます。おでんなど関東のものは濃いですよね。関西のはすっきりときれいですよね。あの差です。

杉浦
醤油のものもとの発祥はどこでしょう。

永山
今でも醤油で有名な和歌山県の湯浅あたりではないでしょうか?

杉浦
例えばこういう考え方は極端ですか?関西から関東に運ぶのに輸送するのに時間がかかった、その途中で酸化したりして味が濃くなったというのは。

永山
杉樽は酸化を防ぎますし、密閉していれば、それほど酸化することはないでしょう。船で運搬されれば、ゆれますから、成分の粒子は細かくなり、味はなじみやすくなりますね。そうすれば、うまくはなりますね。

 

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江戸料理の本質に迫る




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