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「星岡茶寮」の元料理長・松浦沖太さん


ず、魯山人の料理観から述べてまいりましょう。

私は、ひょんなことから魯山人がかつて経営していた「星岡茶寮」の料理長と知り合うことが出来、親しく当時のお話を聞く機会に恵まれました。その方は、松浦沖太さんといい、現在、『忠臣蔵』で有名な赤穂市に在住しておられます。

松浦さんは、当時の魯山人の料理を料理人として語ることの出来る唯一の人物です。この方から伺ったお話を紹介することで、日本料理を革新した魯山人という人物の料理観について確認したいと思います。

松浦さんは、16歳で料理の世界に入られましたが、わずか6年後の22歳の時、当時日本一といわれた会員制の料亭「星岡茶寮」の料理長に大抜擢されました。信じられないような話ですが、これは事実です。理由はしごく簡単で、魯山人が、松浦さんの味付けを大変気に入ったからです。認められるいきさつにはこういうことがありました。

星岡は就職する際に、必ず魯山人が行なう試験がありました。その試験方法というのは、鎌倉にある魯山人の自宅で料理を作らせるというものです。材料は魚のアラばっかり。鯛の頭とか鱧の骨とか、野菜は裏の畑で抜いてこいといわれて。とにかく、当時鎌倉は大変な田舎でガスがなかったので、七輪で炭を起こして料理を作ったそうです。一日で帰される人は不採用、二日間作らせてもらえば合格でした。そこに松浦さんは二十日以上いたそうです。これで、完全に魯山人に認められたのです。

魯山人は「料理は、立派な芸術である。それは料理の味によって人を高い感動に導くからである。その意味で料理人は味がわかることが第一なのだ。上手に刺し身を作ったり、天ぷらを揚げたりすることは、長年やっていれば上手くなるに決まっているが、味だけは持って生まれた天性のものだ。年季をつめばわかるというものではない。」(松浦沖太著『魯山人味は人なり心なり』日本テレビ)というのが口癖だったようです。魯山人は、「料理はまず、味が第一」ということを強調しました。

山人が、これほど「味」を強調する背景には、当時の多くの料理屋が「味」よりも「見た目」を重要視していたらしいということがあります。かつて、ある料理人から聞いた話ですが、当時の料理屋は、料理そのものを楽しむところではなく、酒を飲みつつ芸者さんの歌舞音曲を楽しむところであったとのことです。で、料理はというと、客の気を引く為に細工ものだとか、時間をおいても食べられる寒天で寄せたものなどが多かったようです。そのような料理屋に対して、魯山人は、料理とはそのようなものようなものではないと言いたかったのではないでしょうか。食い味よりもやたらと目先の変わった趣向に走る料理屋が多い昨今ですが、この魯山人の料理観は、忘れてはならないことだと思います。

よく「日本料理は、目で食べる」といいますが、これは味そのものよりも見てくれを優先しているという気持ちも幾分ふくまれていないでしょうか。「料理は見せ物ではなく、食べ物である」ということを充分理解したうえで、目を楽しませる趣向はすばらしいと思います。「日本料理は、目でも食べられる」という方がいいのではないでしょうか。

本という国は、四季に恵まれ、季節ごとに風情があり、おいしい山海の珍味が沢山出回ります。その風情を料理の中で表現し、且つ、味覚において満足させることの出来る料理です。世界的にても日本料理ほど繊細な料理はないでしょう。器の使い方、盛り付けの方法、味、どれをとっても他の国の料理とは全く違う独特のものがあります。あくまでも素材にこだわり、素材の持ち味を生かす方法で調理をします。「味を大切にし、見た目も大切にする」それが日本料理の伝統です。私は日本料理に携わるようになって早20年が経過しましたが、益々、日本料理にひかれます。視覚と味覚の両方で楽しませる日本料理を今後、益々追求したいと思います。




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加賀百万石と魯山人




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