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連載コラム 好吃(ハオチー)!中国料理!
北京料理、上海料理、四川料理、広東料理、点心と5つのジャンルを、それぞれ担当の厨師(料理人)、点心師(点心専門家)が、中国での体験を交えながら料理の作り方とそれにまつわる話を紹介します。まずは、基本的な料理から始めましょう。
五目野菜炒めの薄餅包み
炒合菜戴帽


五目野菜炒めの薄餅包み

   
北京の味 −その3−
 1971年、香港の北京料理店「楽宮楼」で研修したことが中国料理研究の皮切りとなった。当時は、日中国交回復の成立する前であり、中国本土に行くことは叶わなかったが、香港の食文化には大きなカルチャーショックを受けた。
 今回は本題の北京の味を紹介する前に、香港の北京料理について話したい。その中で中国の都市や中華街における地方料理の変遷についても少し触れてみる。ここにある二枚の写真は、いずれも香港のビクトリア・ピークから写したものだが、この30年間における街の変貌ぶりは、そのまま香港の中国料理にも投影されている。
香港のビクトリア・ピークからの眺望(1970年代) 香港のビクトリア・ピークからの眺望(2006年)
香港のビクトリア・ピークからの眺望(左:1970年代、右2006年)
  現在の香港には、約60年の歴史を誇る「美利堅」(1948年創業)を始め、「鹿鳴春」(1970年)、「松竹楼」(1975年)、「北京楼」(1977年)などに加え、清真菜(回教料理)のひとつ羊肉のシャブシャブを売り物にする「新洪長興飯店」(1963年)も老舗の北京料理店に名を連ねている。しかし、その数は極めて少ない。
香港「新洪長興飯店」の羊肉のシャブシャブ(1977年撮影)
香港「新洪長興飯店」の羊肉のシャブシャブ(1977年撮影)
 1980年代まで香港には、大小を問わず相当数の北京料理店があった。上記のほかに「楽宮楼」、「仙宮楼」、「東興楼」、「豪華楼」「悦賓楼」、「遠東飯店」などがあり、いずれも正宗京菜(正統派の北京料理)の看板を掲げ、北京ダックをメインにしていた。香港の北京料理店は、その多くが山東人の経営であり、料理人たちも華北地域から香港に移住した人々で占められていた。その歴史的背景を探ってみよう。
 香港は19世紀半ばよりイギリスの統治下(日本も一時的に統治した)にあり、中国本土からの移民によって今日まで発展した都市である。また、香港から多くの中国同胞が海外へ渡航し、世界中に中華街を形成してきた経緯もある。香港にある地方料理店は、中国各地から流入した人口の数に比例し、増減してきたと考えられる。その意味では、四川料理は北京料理より少なく、湖南料理、雲南料理などに至っては皆無に等しい。
 中国の大都市にある無数ともいえる飲食店では、古くからその経営者、料理人たちは同郷の者が集まり、ある種の互助組織(中国語で「幇」という)ともいうべきネットワークを作ってきた。近年まで中国内外に問わず、中国人は着の身着のままで見知らぬ町にやってきても、同郷のコミュニティーに入れば最低限の生活は保障されたようである。それは中世ヨーロッパの都市で発達した商人、職人たちの独占的かつ、排他的な同業者団体であるギルドの組織にも似ているが、同郷人による強い結束力に加えて、同じ地方からの顧客を招くこともできたので料理店に限らず、大いに広まったという。
香港「仙宮楼」の看板 左下に北京ダックが描かれている(1973年撮影)
香港「仙宮楼」の看板 左下に北京ダックが描かれている(1973年撮影)
 中国では地方料理、郷土料理、異国風味などの料理や食べ物を区分する場合、古くは唐代に「胡食(西アジアの食事)」、宋時代に「北食(異民族系を含む北方の食事)」、「南食(江南の食事)」、「素食(精進料理)」、「川味(四川風味)」などの呼び方があった。明、清時代になると「京都風味(北京風の料理)」、「姑蘇宴席(蘇州風の会席)」など具体的に地方の特徴を示すところも現れ、この時代に「幇」の組織が確立されたといわれる。清末期から中華民国の初期には、地方料理の看板を掲げる店が増え、「川幇(四川料理の幇)」、「揚幇(揚州料理の幇)」、「徽幇(安徽料理の幇)」などに分かれ、その影響力は今日まで続いている。
香港・北京料理「楽宮楼」外観
香港・北京料理「楽宮楼」外観
 研修先の「楽宮楼」でも支配人、料理長以下、山東省の出身者が多く働いていた。若い料理人たちは、店では北京語、日常は広東語を使い分け、年配者の多くは広東語を余り解さず、巻き舌で山東訛りの強い北京語を話した。例えば、鶏はヂィではなく、キーといい、餃子は北京音のヂァオヅではなく、ギョウズといっていた。因みに日本のギョウザは、その方言が伝わったものである。
「楽宮楼」厨房(1971年撮影)
「楽宮楼」厨房(1971年撮影)
 その後、「楽宮楼」は80年代後半に解散し、研修時代の同僚たちはオーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、カナダなどに移民した人もいたが、世界に数多ある中華街には香港と同様に北京料理店は非常に少ない。それは「幇」の影響が強く、香港を拠点にした広東の人々が圧倒的に数で勝っているからである。また、同じ広東省でも潮州、汕頭出身者は東南アジアに多く、香港を含めてタイ、インドネシアなどに潮州料理店が点在する理由は、そこにある。現在、香港で居住する華北出身の子孫は、すでに香港人としてのアイデンティティーを確立し、郷土への愛着心も薄くなり、北京料理を継承する人はほとんどいないという。

 閑話休題。
 さて、北京の味として薄餅(荷葉餅ともいう)を使った「炒合菜載帽」を紹介しよう。
北京料理の定番メニュー (炒合菜載帽も見える。1985年撮影)
北京料理の定番メニュー (炒合菜載帽も見える。1985年撮影)
薄餅は、小麦粉で作った薄い皮のことで北京ダックに欠かせないものであり、ご存知の方も多いだろうが、タコスのトルティーヤ(トウモロコシの生地)にも似ている。 料理名の炒合菜(炒和菜ともいう)は、五目野菜炒めのことで、上から玉子焼きを載せて仕上げるので載帽(帽子を被せる)という名がつく。北京料理店では定番の料理だが、野菜のシャキシャキ感と、薄餅のモチモチ感のハーモニーが楽しめる。牛肉や羊肉の味噌炒めなどを薄餅に包んで食べるのも美味い。変わったところでは龍鬚麺(龍のひげのように細く延ばした手打ち麺)を揚げて薄餅で巻く食べ方もある。
 

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レシピ 五目野菜炒めの薄餅包み

中華の伝道師
人物 松本秀夫
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