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連載コラム 百人一首と和菓子
「『古典』と『和菓子』だって?もう、いや!」と逃げ出さないでください。想像とおいしさとちょっぴり恋の世界を味わって頂きたいだけですから。百人一首の和歌を読んで私たちなりに解釈し、イメージを膨らませて作ったのがここにご紹介するお菓子です。和菓子の世界には、和歌や物語を元にして想像力を働かせ、作品に表現するという楽しさや遊びがあるのです。このページを通して、日本の良さを見直して頂けたらうれしく思います。
春のお菓子梅の里
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける 紀貫之
梅の里
お菓子について
ここでいう「花」は「梅」です。

梅は日本古来のものではなく、奈良(万葉)時代(=7〜8世紀)頃に中国から渡来したといわれています。江南の原産で、古くから観賞や果実の利用がありました。長命で古い品種が残りやすく、多くの名品種があります。
「春告花」とも呼ばれ、日本中各地に植えられており、多くの日本人に愛されている花です。毎年2月頃には咲き始めます。京都では北野天満宮や南部の青谷梅林などに人気があり、町を散策するとどこからともなく梅の香りが漂い、美しい花が目にとまります。

梅の里をイメージし、生地に用いた頭道明寺には梅の風味を付けました。表面にまぶした氷餅で雪を表現しています。

豆辞典
35 紀貫之
貞観12(870)年前後〜天慶8(945)年か。平安時代の名実共にすぐれた歌人であり、文学者です。33番歌の作者紀友則とはいとこです。
まず、彼は、ひらがなで日記を書いた最初の男性です。
ひらがなは平安時代、日本人が漢字を変形させてつくったものです。かな文字とも、女文字ともいい、主に女性が使うもので、男性は私的な場でしか使いませんでした。当時、知識人の男性は当然のたしなみとして漢文ができ、学問はもとより、政治上の重要な事柄、記録書、などにはすべて漢文が使われていました。正式な文章(文字)は漢文(漢字)という意識があったのです。

このような中で、貫之はかな文字を使って日記を書いたのです。それまでは行事やしきたりの公的な記録として捉えられていた日記を、自分の体験した私的な内容の記録として書いたのも革新的です。日記の名前は『土佐日記』。「男の人が書くという日記というものを女である私も書いてみようと思ってはじめるのです。」と終始女性を装って書いています。この日記の発表は、当時、ちょっとした文壇革命だったことでしょう。
また、『古今和歌集』の編者の中心人物でもありました。残っている彼の和歌は800首あまり。優雅で理知的な歌風だと評価されます。
さて、歌のほうですが、直訳すると
「人の心はさぁどうだか分からないけれど、ふるさと(かつてよく訪れた場所)に咲く梅の花の香りは昔と変わらないものです」となります。

『古今和歌集』をひもとくと歌の読まれた状況が分かります。貫之はある日、長谷寺参詣のために何度か泊まったことのある家に久しぶりに行ってみました。すると、家の主人は「あなたのお泊りになる家はこのとおり昔と変わらぬままにありますのに……」と、長らく訪問がなかった事に恨み言をいいます。このとき即興で返したのがこの和歌です。つまり、「私の無沙汰を責めるが、あなたの気持だってどんなものだか分からない。梅の香りは少しも変わっていないけれどもなぁ。」というようなニュアンスです。さて、問題の宿の主人は男性か、それとも女性か。
男性であったなら、恋人同士のふりをして即興のやり取りを2人で楽しんだことになりますが、女性だったらもう少し深刻。




このコラムのレシピ

コラム担当

レシピ 梅の里

和菓子職人
人物 定岡 宏和
辻調の御言持(みことも)ち
人物 重松 麻希
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