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連載コラム 百人一首と和菓子
「『古典』と『和菓子』だって?もう、いや!」と逃げ出さないでください。想像とおいしさとちょっぴり恋の世界を味わって頂きたいだけですから。百人一首の和歌を読んで私たちなりに解釈し、イメージを膨らませて作ったのがここにご紹介するお菓子です。和菓子の世界には、和歌や物語を元にして想像力を働かせ、作品に表現するという楽しさや遊びがあるのです。このページを通して、日本の良さを見直して頂けたらうれしく思います。
秋のお菓子村雨の霧
村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕ぐれ 寂蓮法師
村雨の霧
お菓子について
雨は季節に関係なく降りますが、季節や状態によって春雨・五月雨・秋霖(しゅうりん)・時雨・氷雨など、その表現は様々です。今回は、歌に出てきている「村雨」に注目しました。これは、ひとしきり強く降ってすぐにやむ通り雨のことで、歌の中では秋の深山に降ったようです。

お菓子にも「村雨」という生地があるので、それを用いました。お菓子の「村雨」は、そぼろ状にした生地を雨に見立てたものです。
濃淡の緑色の生地をまきの葉として表現し、全体に、晩秋の山の景色のイメージでまとめました。

豆辞典
87 寂蓮法師(じゃくれんほうし)
 平安時代末期(詳細未詳)〜鎌倉時代初期(1202年)の歌人。俗名(出家する前の名前)は藤原定長(さだなが)といいました。叔父の藤原俊成(83の歌の作者)の後継ぎとして養子になりましたが、俊成に定家が生まれたので、身を引くように30歳台で出家(しゅっけ)します。しかし、この時代を代表するとても有名な歌人で、その才能ゆえに、後鳥羽院に重く用いられ、明石の浦(現在の兵庫県明石市)に所領を与えられたり、和歌所(わかどころ)という役所の役人になったりしました。性格は、とげとげしいところがあったようで、顕昭(けんしょう)という歌人と激しい論争をしたことで有名です。このときの寂連は、密教で使う「独鈷杵(とっこしょ)」という法具を振り回していたようです。彼にとってはあまりいい思い出ではなかったでしょうが、私たちからすれば、血の通った人間らしさが感じられ、エリートの歌人に対して何となく親近感が持てる出来事です。

 ところで歌の方ですが、これは、晩年の代表作といわれます。晩年彼が住んでいたのは京都の嵯峨野なので、そのあたりの風景を歌ったものかもしれません。歌の意味は、
ひとしきり降った村雨(にわか雨)の露が、まきの葉の上にまだ乾かないで残っているうちに、霧が白く立ち上ってきた秋の夕暮れであるよ。

 寂しい秋の情景を、自然の風景の移りかわりで表わしています。「まき」が紅葉しない木であるところや、「露」「霧」「夕ぐれ」などの言葉から、墨絵のような情景だと評されますが、ある情景を切り取った「写真」のような歌ではなく、刻々と移り行く風景を「動画」として歌っているあたりが、凡人にはできないところなのでしょう。



このコラムのレシピ

コラム担当

レシピ 村雨の霧

和菓子職人
人物 仲 實
辻調の御言持(みことも)ち
人物 重松 麻希
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