| 1966年、兵庫県生まれ。1986年、辻調理師専門学校卒業後、神戸の『ポルトフィーノ』(※・)で働く。 村上調理長のイタリア研修のエピソードに触発され、イタリア行きを志望。 ちょうど村上氏が『ピアノ ピアーノ』に移る時をきっかけに、5年間務めた『ポルトフィーノ』を辞め、イタリア研修に出発する。 イタリアでは店の評価や噂を聞いて、実際に訪れて自分の舌で味を確かめた後、「これだ!」と思う店では、すぐにオーナーと交渉して勤務。ホテルを含めると、計10ヶ所で経験を積む。 イタリアの研修先で一番長く働いたところは、人口が50人くらいの街にある『ロドレンドロ』(※・)。ここでは8ヶ月務め、「男性スタッフが少なかったこともあって、非常に頼りにされました。家族同様のつき合いをしてくれて、辞める時には随分、泣かれました。 非常に印象に残っているお店です」。 そのほか、ボローニャの近くの『ラ・フラスカ』では、パスタのバリエーションを勉強。この店では普通の主婦がパスタ職人。「彼女たちたちが作るパスタの形や生地、詰め物のバリエーションは数多く、非常に参考になりました。今までにも4〜5人のイタリア研修者に、この店を紹介しています」。 2年間のイタリア研修を終えて帰国した後、神戸の観光船で1ヶ月半、サービスの仕事を行う。 ちょうどその頃、村上氏より声がかかり、鈴木料理長が統括する池田の『アマート』(※・)で勤務。1年後、鈴木氏のところに、現在の『ピアンタ』のオーナーが、新しくオープンする店舗の相談にきたことをきっかけに、3年前に大阪のビジネス街・淀屋橋に『イタリア小料理 ピアンタ』のシェフを任される。こぢんまりしたオープンカウンターの店ながら、本格的なイタリア料理を提供してくれるとあって、店の売上げは当初から好調。その実績が認められ、1996年7月に、念願の希望であった大規模な店舗『ピアンタ ドーロ』がオープン。現在では、2店舗の総料理長を務めている。 柿田氏は、通常あまり使われないフカヒレやフグといった和食や中華の素材もよく利用し、自由な発想を活かしたイタリア料理を提供。常に柔軟な姿勢でイタリア料理を見つめ、年齢に関係なく、抵抗なくイタリアンを口にしてもらえるように努めている。 現在は2店舗の総料理長として、料理はもちろん、スタッフの管理など、両店の一切を管理。毎日、両店を行き来する、忙しい毎日を送っている。 | | ※・ 当時は、現在、大阪の本町にある『ピアノ ピアーノ』の村上料理長が店を統括。
※・ 1ツ星の有名なお店だが、シェフである旦那さんを交通事故で亡くし、一時はお店を閉めたことも。 しかし奥さんの現オーナーシェフが1ヶ月間厨房にこもり、試作を繰り返したり、フランスの『アランシャペル』など、有名なレストランに研修に出掛けたりして、自分の腕を磨いた後、店を再開。再オープンして何年かで1ツ星を取り戻し、その奥さんの力だけで2ツ星にしたというお店。
※・ 現在の『コロッセオ』の鈴木料理長が総括していた店。鈴木料理長はフレンチ出身。 |