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連載コラム パンのきた道
発酵パンが最初につくられたのは、古代エジプトと言われます。その後古代ギリシャ・ローマを経てヨーロッパ各地に広まり、さまざまなパンが生まれました。
このコラムでは、家庭でおいしく焼ける世界のパンと、それにぴったりの料理を合わせて紹介します。焼き立てのパンのおいしさを、朝食に限らず一日のいろんな場面でもっと味わってみてください。
フランスのパン・ド・カンパーニュ  〜ローマからフランスへ〜
ローマ・フランス地図紀元前58年〜51年、ローマ軍のカエサルはガリア遠征を行い、現在のフランス、ベルギー、オランダなどの地を征服することになります。その記録はカエサル自身が著した「ガリア戦記」に述べられていることでも有名です。この遠征中にゲルマニアと戦ったり、ブリタニアにまで足をのばしていたことは前回までのコラムで少し述べました。
さて、ガリアの地にローマから製パン技術がもたらされ、その後、フランスでパン屋が職業として成立し始めたのは7世紀頃ではないかといわれています。農村部でも都市部でも、小麦は粉挽き業者(ムニエ)に挽いてもらい、人々はそれを持ち帰って篩(ふるい)にかけ、パン生地をこねて丸め、共同のパン焼きかまどで焼き上げていました。しかし、都市の一部では篩かけ業者(タルムリエ、タルミジエ)に頼んでより良質な小麦粉を得るようになります。やがてこのタルムリエは粉を篩にかけるだけでなく生地を球状に形づくることも始め、ついにはパン焼きから販売までも兼ねるようになり、パン屋のほとんどの工程を担当するようになりました。 ただ、この時代、製パン技術そのものはあまり発展せず、基本的にはローマ時代のそれとそれほど変わってはいませんでした。
なお、フランス語でパン屋を意味するブーランジェは、生地をブール(「ボール」の意)に成形するところからそのように呼ばれるようになったそうです。


フランスの都市部では、13世紀にはすでに3〜4種の小麦パンが作られていたようです。しかし都市によっては小麦パンよりもライ麦パンや混合パンが好まれていたという記述が残されているように、農村にはなく、都会人の欲求で生まれたのがパン・ド・カンパーニュ(田舎パン)です。上質な小麦粉だけでつくるパンに物足りなさを感じるのは昔も今も変わらないのでしょうか。生地にはライ麦粉を10%以上配合し、自家製酵母で作った種を入れたり、発酵種を配合したりしてパンの風味をつくります。 パン屋では成形後、かご(バヌトン、パヌトン、パニエール)に入れて発酵させ、大型のものを焼き上げますが、今回は小さめの平らな三角形にしてみました。
合わせる料理は鴨肉のテリーヌ。少し酸味のあるカンパーニュと、鴨肉の味がしっかりとするテリーヌとは相性が良く、一緒に食べれば、いくらでも食べることができるような気がします。


このコラムのレシピ

コラム担当

レシピ カンパーニュ風プティ・パン
レシピ 鴨のテリーヌ

人物
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