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連載コラム カフェ・マニアックス
ようこそ。ここは、コーヒー・フリーク専用のカフェです。
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抽出・焙煎のノウハウ、栽培、産地、科学、歴史、伝説、耳寄りな話、ちょっとおいしい話、うわさ話、こわい話etc.……、コーヒーのフルアイテムをとり揃えてマニアックに語ります。コーヒー好きの方なら、プロ・アマ問わず満足していただけると……。
解析:「コーヒー発見」 仮説と伝説(1)
コーヒーはいつどこで飲み始めたのか、仮説・伝説を検証

  ヒトはコーヒーをいつごろから飲み始めたのか? コーヒーの本はここから始めるのがお約束のようになっています。人間社会とコーヒーの出遭いについては、ヨーロッパにコーヒーが浸透するとともに、イスラム世界からいくつかの説というか、面白い話が紹介され、今でもほとんどの本ではその流れでコーヒーの始まりが語られています。
  話そのものは多くの著作に掲載されているので、ここでは少し視点を変えて、コーヒーとの出遭いの仮説・伝説をジャンル分けし、いつ誰が話を提示したのかと、その説を唱えた背景を考察してみようと思います。


第1分野 ―― 証明不能の仮説
  コーヒーの飲用の起源が、イスラムを越えて古代ギリシャや旧約聖書の時代に遡るという説がいくつか提示されています。ほとんどが???の証明不能の仮説
レオンハルト・ラウヴォルフ『東方周遊記』の挿絵トルコのキャラヴァン
レオンハルト・ラウヴォルフ 『東方周遊記』の挿絵
トルコのキャラヴァン
・怪説なので、どの本でもせいぜい色物としての扱いですが、話の起こしとして重宝するためか、多くの本で取り上げています。いろいろな本で扱われている各種の仮説はユーカースの大著『オール・アバウト・コーヒー』でほぼすべてが網羅されています。ユーカースが紹介している説をもとに、その出自を検証してみましょう。主なものは次の通りです。





ローマ数字 ネペンテス:古代ギリシャ、ホメロスの記述する、ヘレナがエジプトから持ち込んだ憂いを払う薬(イタリア人旅行家でコーヒーの紹介者のひとりとして名高いピエトロ・デッラ・ヴァレ1586〜1652の唱えた説)。現在はアヘン説が有力。

ローマ数字 スパルタの黒いブイヨン(イギリス人旅行家のヘンリー・ブラウント卿1602〜82や探検家で「千夜一夜物語」の翻訳者リチャード・フランシス・バートン1821〜90の説)

ローマ数字 旧約聖書に関連する仮説(『サムエル記』・下のアビガイルがダビデの怒りを静めるために送った「煎った麦」がコーヒーだとのドイツの神学者ジョルジュ・パスキウスの説。スイスのプロテスタントの牧師ルイ・デュマンが唱えたエサウが長子権と交換に、双子の弟ヤコブからもらった赤いポタージュはレンズマメではなく、じつはコーヒーだったとの説=『創世記』など)。

ローマ数字 マホメットその人に大天使ガブリエルが教えたという説。さらにマホメットが生死の境を彷徨う重病のときにガブリエルが預言者にコーヒーを与え、病を癒したという話になっているものも(イスラム圏の説話と説明がしてある場合が多いが出所不明)。

  このジャンルでよく取り上げられるのは以上の4タイプです。いずれも空想というよりは妄想に近いと思われますが、コーヒーとの付合い長い歴史があるということにしようという意識と、ローマ数字を別にすれば、「イスラムを越えて、それ以前にコーヒーを利用していた」ということにしたいという西欧の政治的?思惑のようなものが感じられるのですが・・・。


第2分野 ―― 薬として使用されていたとの説
  コーヒーが体に良いのかどうか。これは、飽きもせず(といってはいけないのでしょうが)今でもまだよく持ち出される問題ですが、ヨーロッパがコーヒーを視野に入れ始めた頃には、格別の関心事でした。特に嗜好品が社会に入りこんでいくために、まず薬屋の棚に並ぶことが、以後社会に受け容れられるかどうかに大きく関わっていたのです。
  薬効に関してはイスラムの大医学者ラーゼスやアヴィケンナの記述が、ヨーロッパで最初にコーヒーに関して言及した書物を著したドイツ人医師・植物学者レオンハルト・ラウヴォルフ(1535〜96)を始め、イタリア・パドヴァの植物学者プロスペリ・アルピーニ(1553〜1617)らによって紹介され、さらにそれを検討する形でヨハンネス・ヴェスリング(1598〜1649)ファウスト・ナイロニ(1635〜1711頃)、シルヴェストル・デュフール(1622〜87)、アントワーヌ・ドゥ・ガラン(1646〜1715)などが取り上げ、広く知られるようになりました。


プロスペリ・アルピーニ『エジプトの植物』 レオンハルト・ラウヴォルフ『東方周遊記』
プロスペリ・アルピーニ『エジプトの植物』 レオンハルト・ラウヴォルフ『東方周遊記』


ローマ数字 ラーゼス(アル・ラジー865〜922)の記述したブンカBunca、アヴィケンナ(イブン・シーナー980〜1037)のブンクムBunchumはコーヒーであるとの説(初期コーヒーを紹介したラウヴォルフやアルピーニの『エジプトの植物』中の記述=1591年刊。ブンクムは植物の根であると後に論駁される。この説をめぐって盛んに論争が行われ、多くの書物にその説が掲載されている)


  コーヒーはイスラム世界から新しく伝わった飲み物ゆえに、その薬効に関する記述を、中世以来ヨーロッパの医学界で絶大な権威をもっていたイスラムの大医学者の書物に求めるのは当然の成り行きでした。事の真偽はともかく、15世紀末から18世紀にいたるコーヒーを紹介した代表的著作に必ず掲載され、関心をひきつけていたことは紛れもありません。
シルヴェストル・デュフール 	『コーヒー、茶、チョコレートに関する新しく興味をそそる論』 中扉のイラスト
シルヴェストル・デュフール
『コーヒー、茶、チョコレートに関する新しく興味をそそる論』 中扉のイラスト
  17世紀のコーヒーを扱った最も重要な書籍といわれるデュフールの『コーヒー、茶、チョコレートに関する新しく興味をそそる論』(1685刊)のほぼ半分はこれらの薬効についての考察に費やされているほどです。

  ラーゼス、アヴィケンナの記しているブンカ、ブンクムが果たしてコーヒーだったのか、論争は決着をみていませんが、コーヒーであったにしろ、現在のコーヒーに繋がる可能性は少ないと考えられます。
  13世紀にイスラム圏を旅したマルコ・ポーロの『東方見聞録』や、訪れた各地の風俗・習慣を細々と記載したイスラムの大旅行家イブン・バトゥータの『三大陸旅行記』(1355年完成、南イエメンも踏破している)にコーヒーと思われる飲み物の記録がないことから、薬として用いられていた可能性はあっても、14世紀半ばまでは飲み物として一般化していた地域はなかったと考えられ、少なくとも現在のコーヒー飲用のルーツであったとはいえないようです。
  後半はコーヒー発見にまつわる3つの有名な伝説を分析していきます。




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