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連載コラム カフェ・マニアックス
ようこそ。ここは、コーヒー・フリーク専用のカフェです。
カフェ飯とか、お菓子とか、ワインとかで癒されたい方は、ほかのコーナーへ、どうぞ。
抽出・焙煎のノウハウ、栽培、産地、科学、歴史、伝説、耳寄りな話、ちょっとおいしい話、うわさ話、こわい話etc.……、コーヒーのフルアイテムをとり揃えてマニアックに語ります。コーヒー好きの方なら、プロ・アマ問わず満足していただけると……。
カフェの始まり――カフェ・プロコップ
カフェの原型「カフェ・プロコップ」のプロフィールを紹介

カフェとは何か
  ちょっとした誤解があって、かつて日本では美味しいコーヒーを提供するのがカフェ、つまりカフェ=コーヒー屋さんと思われていたことがあります。でも「コーヒー専門店」と呼ばれる、商品アイテムをコーヒーに特化したカフェというのは、日本独自の進化形?でかなり珍しい形態です。
  コーヒー専門店が下火になって、10年くらい前からいわゆる「カフェ」のブームがやって来ました。何となく癒されたり、何となく自分とテイストがあったり、何となく食べられたり、何となく飲めたり、カフェってこんなものかという気もしますが、ちょっと捉えどころがなさ過ぎるような…。
  カフェっていったい何なのか、こんな疑問を抱えながら、これから何回かカフェの歴史をたどっていこうと思います。


カフェ以前のカフェ
コーヒーの呼び売り「ル・カンディオ」
コーヒーの呼び売り
「ル・カンディオ」
  まずパリでの話です。この街で初めてコーヒーを飲ませる店を開いたのはパスカルというアルメニア人、1672年のことです。パスカルの店はサン=ジェルマンの定期市で営業した仮設の小屋で、オリエント風の喫煙具も提供し、エスニックなテイストが受けたのか、かなりの評判をとりました。パスカルはこの成功に乗ってセーヌ右岸、現在のケ・デュ・ルーヴルに店を開き、続いて同じくアルメニア人マリバン、ペルシャ人グレゴワールなどが同じようなオリエント風の店を出しますが、いずれもたいした成功を収めずに終わりました。
  一方、同じ頃にル・カンディオといわれるアルメニア風の服装をしたコーヒーの呼び売りがコーヒーをポットに入れて売り歩く光景も見られました。こうして、パリはコーヒーにしだいに馴染んでいきます。
  しかし、こうしたコーヒー店やコーヒー売りはカフェの祖先としては扱われず、遅れてきた「プロコップ」という店がカフェの原型とされます。なぜなのでしょうか?


カフェ・プロコップ ― カフェのプロトタイプ
  カフェ・プロコップが開業したのは1686年。プロコップはそれまでの店とは次元の違う豪華な内装で、明らかに上流階級(とその周辺の人々?)をターゲットにした店でした。プロコップが成功した大きな要因は、そうした人々に知的交流の場を提供したことにある、といわれています。それまで人々の交流の場は、閉鎖的なサロンか、キャバレやタヴェルヌのような酒場が主だったのですが、プロコップはきたるべき18世紀=「理性の世紀」にふさわしい新しい交流空間を提案しました。
  プロコップの登場によって、カフェ=上流・知識階級+覚醒、キャバレ・タヴェルヌ=民衆・下層階級+酩酊の空間という図式が確立します。18世紀になるとプロコップはヴォルテールを初めとする啓蒙知識人を集め、18世紀最大の文化事業といわれる「百科全書」の成立の大きな役割を演じます。こうして先行したすべてのカフェを押しのけてカフェのある理想的な姿を体現した存在として、そのプロトタイプとみなされるようになったのです。そして覚醒と理性を象徴する飲み物がコーヒー=カフェなのですが…。


プロコップのメニュー
  プロコップではどんなものを提供していたのでしょうか。まず、当然、コーヒー、そして少し後に茶、ココア(チョコレート)が加わります。レモネードなどの清涼飲料、果物の砂糖漬け。アイスクリームとシャーベット、さらにリキュール類。これがメニューの概要です。
プロコップでの百科全書派の会合 手を挙げているのはヴォルテール
プロコップでの百科全書派の会合
手を挙げているのはヴォルテール
  料理とワイン、ビールが見当たらないのが変ですが,これはプロコップが属していたカフェ=リモナディエというギルド(同業組合)が扱えるアイテムがソフト・ドリンク、リキュール、砂糖漬け、アイスクリーム類に限定されていたから。逆にほかのギルド、ロティスール(ロースト屋)、トレトゥール(煮込んだ肉を提供)、タヴェルヌ(ワイン+簡単な食事)などは、カフェで提供するものは出せない、そんな仕組みになっていました。ヴォルテールを中心としたプロコップの会合のイラストで、ロースト・チキン(たぶん)を運んでいますが、ロティスールからの取り寄せでしょうか。


オーナーのプロフィール
  フランチェスコ・プロコピオ・ディ・コルテッリ、1650年生れ。もちろんイタリア系ということは明らかですが、出身地はシチリア、パレルモ、フィレンツェ、じつはパリ生まれ、などの説があります。先ほど触れたパスカルの店のカンディオとしてキャリアをスタートしたといわれています。1677年にはギルドの親方(メートル)になり、プロコップ以前に共同で店も持っています。


プロコップの立地
  セーヌ左岸、フォッセ・サン=ジェルマン(現ランシェンヌ・コメディ)通り。今もあります。親類の持ち物だった公衆浴場を改築したようです。もともと当時の繁華街であった上に、1689年にはコメディ・フランセーズが向かいに移転して来て、劇場関係者や観劇の客でも賑わいました。


プロコップの売り物
  まず、当時の贅の象徴だった鏡、タピスリ、シャンデリア、大理石のテーブルで構成された豪奢で快適な空間。飲み物は、香料を駆使したソフト・ドリンクとリキュール類、そして特にシチリアのカッサータ風の果実とヴァニラを使ったアイスクリームが人気を博しています。どうも少なくともコーヒーで客の評判をとったわけではないようです。
  このほか、新聞やパンフレットを暖炉の煙突に張って,客に情報も社会情報も提供していました。


プロコップの顧客
  開業当初から店が軌道に乗ったのは、当時宮廷で大きな役割を演じていたイタリア人社会のサポートが大きかったのではないかと言われています。さらにコメディ・フランセーズが移って来てからは演劇関係者、フォントネル、クレビヨン(父)などの劇作家、ルナールを始めとする俳優たちが利用するようになります。18世紀にはいるとジャン=バティスト・ルソーらの詩人、作家が集まり、さらにヴォルテールを中心にディドロ、ダランベール、ビュフォン、ジャン=ジャック・ルソーなどの百科全書派に集会所を提供し、18世紀の「知の中心」というべき存在になります。
  後のフランス革命時にはダントン、マラー、ロベスピエール、デムーランなどのジャコバン派が足しげく通っていました。19世紀の顧客のリストには、ジョルジュ・サンド、バルザック、アナトール・フランス、ユイスマンス、ヴェルレーヌらの名前があげられていますが、18世紀の勢いはとり戻せませんでした。


プロコップのその後
  1716年にフランチェスコは引退し、息子のアレクサンドルが引き継ぎます。プロコップの黄金時代を支えたのはこのアレクサンドルの才覚であったといわれています。1753年にアレクサンドルが亡くなると、プロコップはデュビュイソンの手に渡り、
再開後のレストラン・プロコップ
再開後のレストラン・プロコップ
1770年にコメディ=フランセーズが移転すると、一時衰退に向かいました。フランス革命時の所有者ゾッピは積極的に革命にかかわって、プロコップはジャコバン派の集う政治カフェとなり、再び歴史の表舞台に返り咲きます。しかし、19世紀、さらに20世紀にはいっても店は続いていましたが、再び往時の名声を取り戻すことはありませんでした。第二次大戦中は閉店、1952年に再開し、レストランとして今も営業を続けています。



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