REPORT

代表 辻芳樹 WEBマガジン

Vol.3 『Hajime Restaurant Gastronomique Osaka Japon』オーナーシェフ 米田肇氏

Chef’s interview

2010.11.19

■フランスから帰国して、北海道へ■

辻:話を戻します。お父様の病状が思わしくなくなって帰国されたわけですが、帰国されてからは北海道のホテルにある『ミシェル・ブラス』レストランに就職されたのですね?

米田:そうです。

辻:どうして北海道の『ミシェル・ブラス』だったのですか?

米田:これは面白い話なんです。私が最初にフランスに行ったとき一番最初にニースの近くに3ヶ月ほど住んでいたのですが、ある時、料理の本を買いに出かけたら私の目当ての本の横にミシェル・ブラスの本がありまして、手にとって見てみると「こんな料理見たことないな」って思ったんです。
 その後、ひょんな偶然からフランスで発行されている日本人向けの情報ミニコミ紙にレストラン『ミシェル・ブラス』の募集が載っているのを見つけ、この店なら一度働いてみたいと思って電話をしてみても、まったく繋がらないんです。家内から「その番号はフランス国内ではなくて、北海道じゃないの」って言われたので、国際回線につないでみるとかかったんです。市外局番がフランスの市外局番と似ていたので勘違いしていたんです。

辻:なんか計画性があるようで偶然が多い(笑)

米田:そうなんですよ。そのまま帰国して北海道のウィンザーホテルのほうに就職したのです。

辻:ほっー。たまたまミシェル・ブラスの料理写真を見て、たまたま募集広告を見て、電話をかけ間違って、その後、就職ですか

米田:はい、そうですね。

辻:そのように急に就職されて部門シェフにどうしてなれたのでしょう?

米田:いや、まったくわからないです。電話をして履歴書を送付しただけです。

辻:それでいきなり部門シェフとして就職された?

米田:いきなり、です。私が入ったときはそのポジションの前任者がおられたので少し待つように言われて、その後、そのポジションを任されました。

辻:どの分門ですか?

米田:ヴィアンド(肉)部門のシェフですね。

辻:フランス人のシェフが日本に支店を出した場合、その人の料理哲学ってスタッフに伝わるものですか?

米田:伝わります。特にミシェル・ブラスさんの料理は単に美味しい料理ではなくて、自分の考えていることを反映した料理ですのでそこを知らないことには彼の料理は作ることができないです。

■ミシェル・ブラスとの出会い、そして開業■

辻:ウィンザーホテルの『ミシェル・ブラス』で米田さんは初めてミシェル・ブラス本人に会われたのですよね?その時のエピソードのようなことはありますか?

米田:一番最初に出会ったのは入職してすぐの頃だったのでなんの印象もありませんでした。部門シェフが空くのを待つ間デセール部門で仕事をしていたときで、ただ挨拶をする程度でした。厨房でもっと料理を作るのかなと思っていたらまったく料理はされませんでした。本店のスタッフを5、6名連れてきていましたし、ウィンザーの『ミシェル・ブラス』のスタッフの大半が既に本店で研修経験を持つので、仕事がきちんと流れていくわけです。その後、ヴィアンド部門のシェフになってから来られたときはブラスさんが料理を作るということでしたので緊張して臨んでいました。

辻:彼の包丁さばきにとても驚かれたという話を聞いたことがあるのですが・・・

米田:そうですね。その頃の私は魚や肉をさばくことにものすごい自信を持っていたんです。フランスで仕事をしているときも自分よりできる者はいないなと思っていたぐらいですから。
 ちょうどメインの肉を三等分することをしていたときにブラスさんが私のところまでやってきて、「駄目だ」って感じで首をふって、また、別の部門を見に行ってしまうわけです。「あれ、駄目だったのかな?」って思いながら仕事を続けていたんです。3日目ぐらいに「良くないな」って言われたんです。私はそんなことはないだろうって思ったんですが、ブラスさんに「ちょっと包丁をかしてみろ」って言われて渡してみると彼はスッーと肉を切ったんです。しかも、その切り方が本当にすごかったです。なんて言えばいいのでしょうね・・・70,80歳の剣豪がその辺の棒切れを持って切ったら、ズバッと、ではなくてスッと切れたというようなイメージでしたね。
 包丁をしっかりと持っているということでもなく、軽~く持って、力もいれずに切っ先だけサッと動かしたらスッと切れていたんです。しかも、断面がとてもきれいなわけです。これは、すごい!と思って、翌日から同じようにしてみるんですがまったく切れないわけです。それで悩んで悩んで、次の日に彼が私のところへ近づいてくると冷や汗は出るし、持っていた自信がポキッと折られた感じでした。ま、その後3日間ぐらいしたらコツをつかんだのでもう大丈夫になりましたし、ブラスさんも遠くから見て「よし」って感じでしたね。

辻:それは自信満々だったからこそ気がついたのでしょうね?

米田:う~ん、それはわからないですけれど。ブラスさんは北海道の店では約1週間ぐらいフェアを行うのですが、その最後の日に呼ばれて「もし、完璧だ、これで完全完璧だと思って作り上げたものでもそこには完璧はないんだよ」って言われたのです。この言葉を聞いたときに「あっもうここで勉強するのはやめよう」と思ったのです。ちょうど時を同じくして父親が逝去したので、実家のほうに戻ることを決めたのです。

辻:実家に戻るというのは?

米田:そうですね、ずっと転々としていましたし、結局自分のお店を持って父親に見せるということもできなかったので、一度実家に戻って考えをまとめてみようと思ったのです。

辻:その頃には自分の料理の"哲学"というものはできあがっていなかったのですか?

米田:まったくないです。

辻:そういうものがないにも関わらず自店を持とうと思われた?

米田:思いましたね。その頃の気持ちはちょうど子供がオモチャを集めるようなものでした。

辻:もちろん銀行から融資を受けて

米田:そうですね、資金を借りました。

辻:米田さんは自己投資への貪欲さ、ハングリーさというものをずぅっと持たれていますよね?

米田:それは他人に負けない自信があります。

辻:エコール辻大阪を卒業されて今年で13年ですか、とすると卒業後10年で自店を持たれた。

米田:そうです。ただ、間が少し空いているので実質7年でしょうか。

辻:すごい凝縮された年月ですね。開業前に想定されていたことはあると思いますが開業されてから「これは想定外だった」ということは?

米田:すべてです。

辻:これは話してもキリがない。

米田:キリがないですね。現在でも苦労していますね。ほんとうに大変です。お店をするのはそれほど簡単じゃないです。

辻:そこをひとつだけ学生たちにアドヴァイスとして「これは大切だからこれだけは勉強しておきなさい」ということをひとつだけお願いします。


米田:とにかく料理の勉強をしておくことが大切です。店を始めると経営のことで頭がいっぱいになって料理のことがほとんど考えることができないです。

<『Hajime Restaurant Gastronomique Osaka Japon』オーナーシェフ 米田肇氏>次回の更新は11月26日(金)を予定しています。