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食のコラム&レシピ

【とっておきのヨーロッパだより】幻の博物館「リヨン国際美食館」

12<海外>とっておきのヨーロッパだより

2020.07.15

<【とっておきのヨーロッパだより】ってどんなコラム?>


※今回紹介する「リヨン美食館」の取材は2019年に行いましたが、この度コロナ禍により完全閉館することが決定しました(2020年7月6日発表)。
‟五感を駆使して食を楽しむ"をコンセプトとした施設であり、現基準の厳密な感染症対策を隅々まで行うことができないのが、閉館の要因の一つです。
『幻の博物館』となってしまったリヨン美食館ですが、こちらでは「記録」という意味を込めて、公開させていただきます。



フランスの美食術が2010年ユネスコの世界無形遺産に登録されたことは、皆さんまだ記憶に新しいのではないでしょうか。

この登録を機に、フランスの文化省と農業省は国内の4都市に食文化施設を置くことを決定し、リヨンを含む4都市がフランスの美食術の保護と振興を担う都市として制定されました。(注1)

ローヌ川とソーヌ川の2つが交わる街リヨンは、地理的にボージョレやブルゴーニュなどのワイン銘醸地や、シャロレー牛、ブレスの鶏肉など美味しい食材の産地に囲まれ、古くから美食の街として人々に親しまれてきました。また、料理の世界大会「ボキューズ・ドールBocuse d'Or」やお菓子の世界大会「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリーCoupe du monde De la patisserie」などもこの地で行われています。

そんなリヨンに2019年10月、待望の「リヨン国際美食館」が開館しました。
「食と健康」をテーマに世界の料理を取り上げ、ガストロノミーの世界を広範囲にわたって学び、体験することのできる、美味しい物好きにはたまらない体感型のミュージアムです。中はテーマ別に各ブースに分かれており、ガストロノミーに関する様々な展示を楽しみながら、それぞれのテーマに沿った体験をすることが出来ます。

リヨン国際美食館の入るこの建物は「オテル・デューHôtel Dieu」といい、12世紀から2010年まで約800年もの長きに渡り、リヨンの市民病院として機能していた施設です。ローヌ川の西岸に広がる壮麗な佇まいは、歴史的建造物としても見ごたえ十分です。「オテル・デュー」とは、通常の医療機関である「オピタルhopital(病院)」とは少し違い、いわゆる重病患者の緩和ケアを行う施設です。設立当初はローヌ川を渡って訪れる様々な患者を受け入れていました。時代と共に市立病院として使われるように変化していきました。




病院閉鎖の数年後の大規模なリニューアル工事で、2018年春よりオフィス、商業施設や5つ星ホテルなどを擁した複合施設「グラン・オテル・デューGrand Hôtel Dieu」としてオープンし、既に賑わいを見せていたところへ、建物の最も古い部分を活用した「リヨン国際美食館」が加わった形です。


それでは建物内部を見学していきましょう。


館内案内図

入口から階段を上がって正面天井にまず現れるのが、放射状に配置された13本の大きなスプーンです。なぜ13本なのか? 美食館の案内員の方の話によると、これは以前ここが病院だった頃、患者の14人に13人が無事回復したという高い治療率を表しているそうです。



これらのスプーンにはまた、食事の際に使用する、"食"に欠かせない存在としてのスプーンや、医療で薬を飲む際に使用するスプーンという意味もあり、まさにこのリヨン美食博物館の象徴ともいえます。


入口入って左手のエリア。
ここでは、リヨンのガストロノミーの歴史について学ぶことが出来ます。
入ってすぐ目に入るのは、リヨンの偉大な料理人ポール・ボキューズPaul Bocuseが25年間実際に使っていた調理台。その重さはなんと約1トン!あまりの重さに美食館の床を補強して展示されているそうです。(注2)



偉大な料理人ポール・ボキューズが厨房にオーダーを通す映像と共に、彼の半生、レストランについて紹介されています。
その中には本校前校長の著書『フランス料理研究ETUDE HISTORIQUE DE LA CUISINE FRANCAISE』も展示されています。この著書は辻静雄前校長が書した、フランス料理の歴史からサービスの分野において隅々まで網羅した1400頁以上にも及ぶ詳細な文献です。
辻前校長とボキューズ氏の深い友情は日仏両方の料理業界に大きな影響を及ぼしました。

ポール・ボキューズ氏の歴史パネル。辻前校長夫妻との写真も


すぐ隣では、リヨンの美食を語るうえで欠かせない「メール・リヨネーズMères lyonnaises」について紹介されています。




「メール・リヨネーズ」とはフランス語で"リヨンの母達"を意味する女性料理人達の事を指し、第一次世界大戦終戦後の料理界に一時代を築いた歴史が紹介されています。(注3)
彼女たちは試行錯誤を重ね、リヨンの街が育んできた食をさらに磨き上げ、シンプルかつ質の高い料理を次々と生み出していきました。

なんだかいい香り...。厨房をイメージした様な展示で、鍋の中を覗くと野菜や鶏が煮込まれている映像が流れ、本物の料理の様な香りを周囲に漂わせていて、まるで本当に料理が作られているような雰囲気を五感で感じることが出来る面白い仕掛けになっています。



鍋に近づくと...


傍にある古い電話機を取ると、ミシュランガイドで女性初の三ツ星を獲得した料理人のメール・ブラジエMères Brazierを模した声を聴くことが出来ます。
残念ながら本人の声ではなく本人の真似をしている音源だそうですが、当時の雰囲気を感じることが出来ます。

一番奥のテーブルはタイヤ製造会社の「ミシュランMichelin」が第一次世界大戦終結の8年後、1926年から始めたレストランガイド『ミシュランガイド』の歴史について紹介しています。このミシュランガイドが車産業の発達を促進するため、レストランの格付けを開始し、現在に至るまで世界に広く知れ渡りました。

「レストラン・ポール・ボキューズ」のあるリヨン近辺には、他にも「トロワグロTroigros」、「メゾン・ピックMaison PIC」といった、ミシュランで長きにわたって高い評価を得ている名レストランが多くあります。人々が車を駆ってでも食べに行きたいと思わせる名店を紹介し、それら名店の評判とともに『ミシュランガイド』の価値も高められてきたという、深い関係性をうかがい知る事ができます。(注4)


当時の映像を見るスペース


そんな名店の一つに、リヨンから南に30km程の場所に位置するヴィエンヌVienne のレストラン「ラ・ピラミッドLa Pyramide」があります。この地に才能豊かな料理人が集まってきた背景には、このレストランのオーナーシェフであったフェルナン・ポワンFernand Pointの様な、革命的な料理人の存在も大きくあります。

このレストランはポール・ボキューズを筆頭にピエール・トロワグロ 、アラン・シャペルなどそうそうたる名料理人を輩出した学び舎で、その彼らが教えを受けた料理人こそが、フェルナン・ポワンです。彼の料理革命への情熱が、フランス料理の発展に大きく貢献したとされています。今やユネスコ無形遺産にも登録され、世界に認められたフランス料理ですが、そこに至ったのはフランス料理の質や個性を高める為に貢献し、リヨン近郊で活躍した様々な料理人達の力が土台になっているのだと、私は思います。

このコーナーにも実は様々な仕掛けが施されており、コック帽を上にスライドすると有名なライヨールのナイフや、「クロッシュ」という料理に被せるシルバーの蓋を開けると、ベルナションBernachonが実際に使っていた当時の手書きメモを見ることが出来ます。(注5)



ベルナションBernachonが実際に使っていたレシピメモ


ライヨールのナイフ


以下、各ブースの名前と共に、様々な展示物を紹介していきます。


-ア・ターブル!à TABLE!(食卓につきなさい、ごはんですよ!)―

こちらはフランス食文化がユネスコに登録されたことを体験する場所になっています。
なぜフランス料理は世界無形文化遺産に認定されたのか。地元産の良い食材を買うところから、食卓を囲んで食事をするところまでを様々なコンテンツで遊びながら、学びながら考えることが出来ます。
実際にマルシェMarché(市場)を訪れているかのように食材について学べます。入ってすぐにあるのは、近郊の都市の名産物が一目でわかる壁一面の地図。この中には、皆さんのよく知っている食材もたくさんあるのではないのでしょうか。


良い料理にはまず良い食材探しから!
市場に行くと、パネルに移った店員さんが季節の野菜やフルーツの説明をしてくれます。質問にタッチパネルで答える参加型で、市場に食材を探しに行く料理人の気分です。


タッチパネルに触れてクイズに答えながら解説を聞くことが出来る


ここでは様々な映画の祝宴の場面を再構成して、リヨンの美食について紹介しています。見学者はその宴の招待客です。実際に食卓を模した椅子に座って自分がその時代の映画のワンシーンに参加しているような体験をすることが出来ます。

市場で食材を知り、調理をして、食卓に着くまでの一連の流れがこの小さなスペースに詰め込まれています。

ここには金色のオテル・デューの大きな模型があり、当時のオテル・デューの一日の再現映像を見たり、実際に病院として使われていた当時を紹介する展示物がたくさんあります。

中でも目を引くのは、壁一面に飾られた小さな陶器の数々です。これはベルクール広場にあったシャリテ病院から持ってきた、実際に使われていた薬壺です。


薬壺


シャリテ病院として機能していた1930年代に、オテル・デューに建設された2つの歴史遺産の部屋(評議会室と資料室)を見学することが出来ます。ここは居心地の良いサロンの様な空間で、タッチパネルや新聞など様々なツールを通じて、生物多様性や農業、食品ロス対策、食の平等性など現代的かつ社会的な問題に関する知識を深め、考える場となっています。

リヨン美術館から持ってきて移籍された、食にまつわる絵画なども展示されています。



こちらにあるこの大きな棚は、その昔にシャリテ病院で実際に使われていたカルテを入れていたものです。美しい状態を保ったままで時が止まったよう...。当時を想像しながらしばらくゆっくりとしたくなるような空間です。更に上を見上げると、天井には彫刻が施されており、それぞれ平等、博愛など病院のあるべき姿が刻まれています。


実際にカルテの入れられていた棚


奥のこぢんまりとしたスペースは薬剤室で、薬に使われていた薬草がどのようにして育つのかを、リヨンで毎年12月に開催される光の祭典「フェット・ド・リュミエールFête de lumière」でお馴染み、プロジェクションマッピングで表現されています。こんなところにも細やかな工夫がされているのですね。




―アトラス・モンディアル・ドゥ・ラ・ガストロノミーAtlas mondial de la gastronomie(ガストロノミーの世界地図)―

その名の通り、ここには世界中の食のデータベースが入っています。
食品、料理人、食事、調理法、提案など各テーマに分かれており、世界にはどの様な料理があるのか。またどんな食材がどのように調理されているのかなどタッチパネルを操作して自分の気になった分野をどんどん読み進めることが出来ます。

世界中の食材や料理について、食の世界地図を見るようにじっくり楽しむことが出来ます。


ここでは生産から消費までの食品のサイクルを理解することが出来ます。
例えば、大きな牛乳パックのパネルに触れると、牛がクイズ形式で牛の種類、生態、また取れた乳がどういう料理に加工されるのかなどを教えてくれます。子供たちはゲーム感覚で食材について楽しく学べるのです! 私たち大人でも楽しめるツールでした。この様に大人から子供まで楽しめる食育ゾーンとなっており、家族連れでにぎわっていました。


親子で食育


子供たちもゲーム感覚で楽しんでいた



―ラ・キュイジーヌ・エ・レスパス・ガストロノミーLa Cuisine et l'espace gastronomie(厨房と美食空間)―

ここは料理のイノベーションの為にプロの料理人に開放されたスペースです。
常駐シェフによる調理デモンストレーションや、一般向けのテイスティング用キッチンが備え付けられています。厨房で作った料理をすぐに試食することが出来、常駐シェフがリヨン近郊で採れる季節の食材を使用したメニューを提供しています。

オープンキッチンになっているため、調理する様子を見ることが出来ます。
穏やかなひと時と、美味しい食事を共有して、美食を楽しみましょう。


オープンキッチンになっている


企画ごとにさまざまな料理のテイスティングが出来るスペース

見学の最後には出口付近にあるブティックによってみてはいかがでしょうか?
調理関係の書籍や調理器具など小さいながら品ぞろえが豊富で、見ているだけで楽しいはずです!
施設内に食事のできるレストランはありませんが、リヨンには美味しいレストランがたくさんありますので、この施設を体験した後は、リヨンの街で古くから人々が培ってきた美食を存分に味わってみてはいかがでしょうか?

これからもっと世界中の美味しい物、美味しい物好きが集まってますます活気づいてくるでしょう!





■取材協力■

Cité internationale de la gastronomie de Lyon
住所:4 Grand Cloître du Grand Hôtel-Dieu (entre par la place de l'Hôpital) 69002 LYON

在リヨン領事事務所
住所:131 Boulevard de Stalingrad, 69100 Villeurbanne
TEL:04 37 47 55 00

注1:
選ばれた4都市はリヨンの他、北西部のトゥールTour、南東部のディジョン、そしてパリ郊外のランジスRungis。4都市にはそれぞれテーマが決められており、トゥールは生活の芸術、ディジョンがワインと葡萄、ランジスが世界の食品、そしてリヨンは食と健康。フランス料理の多様性と豊かさを発信するため、フランス各地の特色を生かしたテーマ設定にして美食館事業が進められている。

注2:Paul BOCUSE(1926‐2018)
フランス料理に「ヌーベルキュイジーヌNouvelle cuisine」と呼ばれる新しい革命を料理界にもたらした偉大な料理人。近郊にある彼のレストラン「レストラン・ポール・ボキューズ」は、1961年から2019年までの55年間ミシュランガイドの3つ星を獲得し続けた。1970年代には本校前校長のフランス料理研究家、辻静雄から招待を受け来日、日本のフランス料理を進化させたほか、日仏双方の料理業界に大きな影響を与えた。

注3:
メール・ブラジエや「メール・リヨネーズ」については、「とっておきのヨーロッパだより」の「メール・ブラジエとその時代」「ブション・リヨネー伝統とこれからー」もご参照ください。

注4:
当初は自動車運転者向けの地図の様なガイドブックだったが、車産業のさらなる発展のため、独自でレストランの格付けを行ったのが始まりとされている。

注5:
リヨンにある創業1953年の老舗チョコレート専門店。創業者モーリス・ベルナションの息子ジャンジック・ベルナションJean-Jacque Bernachonがポール・ボキューズの娘と結婚したため、レストラン・ポール・ボキューズとは親戚関係にある。現在はモーリスの孫にあたる、キャンディス、ステファニー、フィリップ氏の三名が経営を任されている。

担当者情報

このコラムの担当者
小島悦子

小島 悦子 KOJIMA ETSUKO


■現職
辻調グループ フランス校(エスコフィエ)洋菓子担当

■出身校
辻製菓専門学校

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