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食のコラム&レシピ

【半歩プロの西洋料理】ビストロ!びすとろ!bistrot!②

01<西洋>半歩プロの西洋料理

2011.05.20

<【半歩プロの西洋料理】ってどんなコラム?>

前回紹介した「パリの居酒屋(びすとろ)」は現在入手が非常に困難な一冊である。しかし、気長に古書店やネットオークション(先日見たものは6,500円で落札、その前は3,500円ぐらいで推移していた)を探せばきっと見つかるのではないだろうか?そんな時間やお金は無いという方にはこちらの一冊をご紹介しよう。残念ながらこちらも既に絶版になっているが、大きな書店の書棚に残っているのを見かけるし、古書店でも比較的簡単に見つかるだろう。


『新・パリの居酒屋』(びすとろ)
1984年刊新潮文庫:現在絶版

初版刊行の十数年後、カラー写真満載の新しい姿で生まれ変わった一冊。大きな古書店ではよく見かける、緑の背表紙の新潮文庫の辻調シリーズ

現在でも手に入るであろうと思える、こちらの頁をめくりながら、ビストロについて少し話を進めてみよう。

この本の中では、「ビストロ」という言葉の語源について、様々の説があるとした上で、ラルース社の『パリ事典』による、1814年の連合軍のパリ占領の際、パリに駐屯していたコザック兵によって生まれた言葉であるという話が紹介されている。

当時、コザック兵たちは飲食店への立ち入りを禁止されていた。そこで、監視の目を逃れては、「ビストロ、ビストロ(早く、早く)」と叫びながら、飲食店に駆け込み、ありあわせの料理と酒の食事を取り、あっという間に姿を消したといわれている。新しい言葉をはやらせるのが好きなパリジャンは、この様子を見て、手軽に食事をしてお酒を飲むことができるレストランやカフェを「ビストロ」と呼ぶようになったのだという説である。「bistrot」という表記についての説明も含めて、今でも印象に残っている一節である。


『新・パリの居酒屋(びすとろ)』
当時はやり始めたカラー版の文庫で店を探す目印にバッチリ・・・
お世話になりました

初版にはなかったが、文庫版では紹介されている全ての店のファサード(正面)写真がカラーで掲載されているのでうれしい。文庫サイズで持ち歩きやすくもあった。かつてのパリという街は10年や20年で大きく様変わりするものでもなかったので、刊行されてから10年後にパリを訪れた際にもホテルにある簡単な地図と共に持ち歩き、ガイドブック以上に役立ってくれた。

ミシュラン レッドガイド、パリ編
著名なミシュランガイドのフランス版は、日本版とは違い、写真は一切なく地図も小さく通りの名前が出ているだけである。有名店でも住所や電話番号が記されているのみで、コメントがあったとしても、名物料理の名前やちょっとした注意点が記されている程度である

フランスを訪れて間もない私には、パリの街中は東西南北の見分けすらつかず、小さな地図では目的地にたどり着けないことが多く、フランス人向けのガイドブックはまったくといっていいほど役に立たなかった。ブルーガイドの地図を見て、通りの名前を頼りに大まかに見当をつけて現地へ、後はウロウロと歩き回りながらファサードの写真を頼りに店にたどり着く。日本語で書かれたガイドブックや地図を握り締めた日本人観光客とは違うつもりで、少し旅なれたように動いていたつもりだが、やはりパリに暮らす人々の目には、田舎から出てきたおのぼりさんのように映っていたことだろう。

 
ミシュラン ブルーガイド
細切れになった地図は全体像がつかみにくく、日本人スタッフには不評だったが、私はバイク用のポケットマップでなれていたので、こいつにお世話になりました

ビストロというと気楽に食事が出来るというのが1つの売りだが、店によって注文方法が違う場合があるので気をつけたい。私が訪れたかぎりでは、大きく次の2つのタイプに分かれる。昼食時に訪れると、メニューを持ってくるでもなく、決まったランチのセットメニューの中から、客が自分の懐具合に合ったセットを選ぶというタイプの店と、カルトにお店の定番料理が、前菜、魚料理、肉料理、スペシャリテなどときちんと区別されて並んでいて、その中から一品ずつ選ぶタイプの店である。

 
ステック・アシェ(左)
ハンバーグ? いいえ、これは挽き肉のステーキ
フランスでは混ぜ物をしたハンバーグは「アメリカ料理」であり、子供の食べ物のように思われがちで、大人はこちらを食べます

ステック・フリット(右)
ビジネスマンのクイックランチの代表選手はやはりこれ、日本で言えば牛丼か、そばやうどんの類か?
使われる肉の代表選手は「バヴェット」と呼ばれる、牛の腹部の平たい筋肉。

前者はやはり選択肢に乏しいし、前菜代わりのグリーンサラダと焼きっぱなしの薄くて固いステーキやステック・アシェ、鶏のソテーなど、いかにも「昼ごはん」という感じのセットが提供されることも多かった。現在の日本の多くのフランス料理店がランチタイムに提供するものよりももっとシンプルな料理が食卓を飾っていたのである。夜にしっかりとした食事をするためにパリを訪れた際にはそんな店でも十分すぎるぐらいだが、時間や胃袋、何よりも財布に余裕のあるときは後者を訪れるとよい。こういった店はフランス北部の料理や、リヨン近郊や南フランスの郷土料理を得意とする特徴的な店であることも多く、他の店では味わえない一皿に出会うことが出来る。この本には、そんな店もいくつか紹介されている。あれから16~17年、ここに載っている店のいくつが、同じように客を迎えているのだろう。今も残ってすばらしいレストランになった店ももちろんあるが、消えてしまった店もあるだろう。

ある日の食事を再現してみよう。
最初はテーブルに置かれたオリーブをつまみながらビールを。
そして、ボリュームたっぷりのサラダと進み、メインは濃厚な味わいの一品。
水のようにワインを流し込み、ついついボトルを開けてしまうのである。


先ずはテーブルのおつまみ
ビストロのお通し?だろうか。こんな豪勢なものは中々無いが、山盛りのオリーブが小さな器に入っている


サラッド・デュ・ジュール(本日のサラダ)
日本人が食事で「サラダだけ」というと、ヘルシーで頼りないイメージだが・・・フランスだと山盛りの野菜とチーズ、しっかりと焼き上げたベーコンにポーチドエッグが2個とこれだけで満腹というものになってしまう


ブダン・ノワール(黒いブーダン)
材料は「豚の血液」、濃厚な血の味が特徴のフランス伝統食材。
付け合わせにはりんごのソテーやじゃがいもとりんごのピュレが添えられていることが多い

『新・パリの居酒屋』は「ビストロとはこれだ」という1つの結論を出すのではなくて、読者の想像を掻き立てる、著者の持つ複数のイメージを伝えてくれる。

近年は、前回紹介した『ビストロブック』をはじめとして、内容の充実したガイドブックもたくさんあるのでそれを片手に店を訪れてみるのもいいだろう。あるいはそういったガイドブックと『新・パリの居酒屋』を比べてみて、今も残っている店を探し出して訪れるのも楽しいかも知れない。きっとすばらしい食事や出会いを楽しめることだろう。

唐突だが、フランスの文化の中で特徴的なものに、人が集う場所として自宅の外にあるもうひとつの自分の部屋のような存在、「カフェ」がある。コーヒーを中心にアルコール類を含む飲料と、軽い食事を供する。店主や従業員だけでなく、客もその店の雰囲気や客層にまで口を出す。かつては勝手に飲み物や食べ物を持ち込んだり、店とはかかわりの無い商売、政治や芸術活動をしたりすることも自由であったという「カフェ」。

「カフェ」に生活感あふれる料理の数々が加わったものこそが、ビストロだとする説もある。他人を入れたくない普段着で暮らす自分の部屋がある。それとは別の普段着でいても他人を招きたい自分の部屋、あるいはちょっと気取って余所行きの服を着ている自分が過ごす部屋かも知れない。一昔前のパリはそんな「部屋」があちこちにあり、人々であふれていたのだろうか。「ビストロ」をそうしたもう一つの自分の部屋のように普段使いできれば、心地よい人生を送れるのかもしれない。

続きはいつか・・・

と、締めようとしていたのだが、

「先生、ちょっといい?」

と、天の声が・・・

「(レシピの料理は)こないだのも、今回のもおいしいんやけど、料理としてはリヨネーズやよね。ビストロというよりはブション・リヨネといえる店の料理に近いんと違うかな?」

「え、ブション・・・」

考えてみれば、私がフランスで暮らしていたのはリヨン近郊の小さな村で、普段使いする店も近くの街やリヨンに集中していたのだ。

「そうか、ブションか・・・」

いきなり、お尻がまとまらなくなってしまった。

と、いうことで仕切りなおしてみよう。

次回はブションを足がかりにもう少しだけ掘り下げてみよう。

<コラム担当者>
30数年前の一冊の本との出会いを思いかえして・・・老人ライダー候補生
此上 潤

<このコラムのレシピ>
プティ・サレとレンズ豆の煮込み

<バックナンバー>
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