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食のコラム&レシピ

【日本料理一年生】 57時間目 ねぎま汁

04<日本>日本料理一年生

2016.03.02

<【日本料理一年生】ってどんなコラム?>


●ねぎま(葱鮪)汁●

 今回のテーマは「ねぎま」です。「ねぎま」とは、本来「葱」と「鮪(まぐろ)」を煮た鍋や汁物のことで、焼き鳥屋さんで葱と葱の間に鶏肉や豚肉を挟んで焼いた「葱間」や、赤松健さん作の漫画とは別のものです......。

 もともと、日本ではまぐろを「しび」といいました。のちに「鮪」という字が当てられます。そして、目が黒いところから、目黒(まぐろ)と呼ばれ、これが変化して、「まぐろ」になったという説があります。
 まぐろは古くから食用とされたようで、貝塚で骨のかけらが発見されています。しかし、江戸時代までは、「しび」という発音が「死日」に聞こえるので、不吉な魚だと考えられていました。地位の低い下品な魚とされたり、味がよくないという理由で好まれなかったりしたようです。



 それでも、江戸時代に入ると、大量に漁獲する方法が考えられました。また、天保のころ、江戸湾(いわゆる「江戸前」)で、大量に獲れた時期があったようです。このようなことから、まぐろを食べることが増えました。まぐろは腐りやすいので、新鮮なものがたくさん食べられ、味のよさが見直されたのでしょうか。
 また、同じ頃に醤油が庶民に行き渡るようになり、まぐろの赤身を醤油につけて保存する「ヅケ」が登場します。ところが、トロは脂分が多く醤油をはじくので保存には向かない上、脂っこくもあるので、当時の人々の好みには合わないため、捨てられていたとか。
 捨てられていたトロを料理にできないかと考えられたのが「ねぎま」です。煮ると脂っこさが和らいで、まぐろの旨味が葱に染み込む「ねぎま」は、庶民の味になりました。


●まぐろの部位●

 ところが、戦後に日本人の食生活が一変し、欧米並みの肉類を多く食する脂分の多い食生活になってくると、まぐろは赤身より、トロがおいしいと感じるようになります。また、1960年代(東京オリンピックのころ)には、冷蔵や冷凍の技術と、流通状態が著しく向上したので、現在ではまぐろのトロは超高級品となってしまいました。  

 そもそも、昔、味がよくなかったとされたのは、まぐろのような赤身の魚は、足が早いので、冷蔵や流通状態が悪い時代は、腐りやすかったからということと、日本人の好みが今とは異なっていたからといえるでしょう。

 こんな高級なトロの部分を使って、家庭では、とてもとてもお鍋や汁物はできません。そこで今回は、まぐろの赤身(スーパーでパックで売っているブツ切りでもいいんです)に、「卵の素(もと)」というものを加え、なめらかでこくのあるまぐろの団子を作り、葱と一緒に煮込んでいきます。ぜひとも、「辻調風」の「ねぎま」をご賞味ください。



 ところで、私事で恐縮ですが......このたび、小谷はコラムの担当から卒業することになりました。
 「和のおいしいことば玉手箱」、「にほんの四季だより」、「日本料理一年生」と13年間お世話になりました。
 長い間、ありがとうございました。

 今回をもちまして、日本料理一年生はいったん休止いたします。
 何らかの形で、今後もお目かかることがあるかもしれませんが、それまで、しばらくお別れです。
 みなさん、どうぞ、お元気で!

担当者情報

このコラムの担当者

タイ語の話せる日本料理のおとうちゃん
小谷良孝

辻調の御言持(みことも)ち
重松麻希

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