REPORT

代表 辻芳樹 WEBマガジン

Vol.1 『Hajime Restaurant Gastronomique Osaka Japon』オーナーシェフ 米田肇氏

Chef’s interview

2010.11.05

時代を走り続けるシェフたちが作りだすものは料理や菓子だけではありません。人をつくり、店をつくり、自分自身をつくり、何より、この世界そのものを創り出しています。  2010年度の「シェフズインタビュー」はジャンルを超えて料理、菓子の話はもちろん、一人の"創る人"として、シェフの素顔に迫ります。

インタビュアー:辻調グループ校 校長・理事長 辻芳樹 第2回目ゲスト 『Hajime Restaurant Gastronomique Osaka Japon』 オーナーシェフ 米田肇氏 Vol.1

【プロフィール】
1972年大阪府生まれ。近畿大学理工学部卒。
システムエンジニアとして2年間勤務した後、子供時代からの夢=料理人になる
をかなえるためにエコール辻大阪に入学。卒業後は、関西のフランス料理店で修行し、2002年に渡仏。現地の1つ星、2つ星店で働き、2005年に帰国、「ミシェルブラス トーヤ ジャポン」で部門シェフに就く。2008年5月に自店をオープン。
2009年、2010年とミシュラン三つ星を獲得する。

●小学生のときにTVで観た料理人に憧れて

辻:みなさん、おはようございます。2回目ですけれど緊張します。まず、業務連絡ですけれどこの場は日本対パラグアイ戦のパブリックビューではありませんので、もし、勘違いされている人がいれば出ていってください。
10時に戻ってきても誰もいないと思います。て、これは冗談ですよ。受けなかったなぁ。

(笑い)

 今日は少し変則的なスタートになります。インタビューを始める前に米田肇さんという方がいったいどういう料理を作るのかを皆さんにお見せしたいと思います。
米田さんは店をオープンされて2年近くになるのですが、今からお見せするのはあくまでもある季節に作られた彼の表現の一部です。少し長くなりますが、これからのインタビューにどうしても必要なことと感じたので見てください。


  
   

(校長による料理の説明):上の料理はその一部です

 さて、このような料理を作る人が実際どのような経験をしてきたのか、そしてどのような経歴の持ち主なのかを今から伺っていこうと思います。
 今日のインタビューの内容は前回と同様学生と職員からのさまざまな質問を集めた内容で、僕は彼らの代表としていろんなことを聞かせていただきたいと思います。
 まずは本当に今日はお忙しいところありがとうございます。あまり緊張なされないのですね?

米田:それほどはしません。

辻:大勢の前で話される機会とか、講演とかを依頼されたりとか、あるのですか?

米田:講演なども頼まれたりするのですが、休日も料理の研究とか経営のほうの業務とかも入っていますのでなかなか時間をとることができないのでお断りしているのが現状です。

辻:この数年間は仕事漬けということですね。

米田:そうですね。

辻:このシェフズインタビューを始めて6年になるのですが、一番最初のインタビューはどなただったか聞かれていますか?

米田:いや~、知らないですね。

辻:ミシェル・ブラスさんです。

米田:あっ!そうですか

辻:いろいろ大変でした(笑)。まず、現在、おいくつですか?

米田:1972年生まれの37才です。

辻:ご出身は?

米田:大阪です。

辻:ご家庭では美味しいものを食されてきた環境があったのですか?

米田:私の父親がセーターとかの製造をやっていたので、仕事で行ったヨーロッパなどから帰ってきたときにいろんな店に食事に連れていってもらったという記憶はあります。

辻:けっこうクリエーティヴな環境にいらっしゃったんですね。

米田:そうですね。

辻:料理の分野で何か子供の頃の印象とか、思い出に残っていることとかはありますか?

米田:その頃、フランス料理とよべるものは関西にはあまりなかったと思います。僕も小学生ぐらいでしたし、どちらかというと「洋食屋さんに少し毛が生えたぐらい」の店に連れていってもらうのが多かったように思います。ま、一応テーブルクロスが敷いてあって、ジャガイモのスープがあったような店の記憶があるのですが、そういう店で料理人の方がスープをテーブルに持ってくるんですね。その姿を目にして「おっ格好いい!」と思ったのは覚えています。

辻:料理の道に進もうと思ったきっかけは?

米田:きっかけは僕が小学生の頃にTVで料理対決のような番組があったと思います。日曜日の朝だったと思うのですが、そこである料理人の特集をしまして、その方がもともと車が好きでヨーロッパに渡ったんですが、なかなか就職口がない、でも、生活しなければいけないということでレストランの厨房に入って食器洗いをするうちに料理も覚え、その後、ニューヨークへわたってシェフをされているという内容でした。そして、成功されて、大きな家に住んで車もスポーツカーを所持しているという姿を観て、「これは格好いいな」って思ったのと先ほどお話しました洋食屋さんの料理人の姿が頭の中でリンクして、「あっ、これだ」と思ったのです。

辻:けっこう単純な動機ですね(笑)

米田:単純です(笑)。すごく単純なことです。

辻:でも料理人になろうとは思わなかったのですか?

米田:思ったんです。その時からずっと思っていましたが、結局回り道をしました。

辻:プロの料理人になろうと思ったけれどとりあえず大学に進学されたのですね。

米田:それはですね、小学校の頃から料理人になりたいということは言っていて中学校を終える頃に料理の専門学校へ行きたいと言ったわけですが、「とりあえず高校はいきなさい」と言われました。そして、高校卒業の頃にまた同じことを言うわけですが「行くのだったら自分で資金を稼いでいきなさい」と言われて、一度資料請求を
させていただいて、必要な金額を目にしたら、「これはとてもいけないな」と思ったわけです。で、専門学校へ行くのならお金を出してくれないけれど、大学へ行くのなら出してくれるということだったので大学へと進学した次第です。

辻:ちなみにどこの専門学校の資料をとりよせられたのですか?

米田:ここのです。

辻:あっ、うちの資料ですね(笑)で、それで料理人になるのは一度あきらめられた?

●「僕はほんとうに料理人になりたいのか?」を確かめる

米田:ま、大学に行くのもひとつの経験だろうということで進学したのです。大学では普通に勉強して、卒業するというときに将来的にどうしようかな、と思ったのですが、一応コンピューター関係のことを学んでいたのでそういった
知識が実社会でどのように生かされているかを見てみたいと思って就職することにしたのです。

辻:仕事は何をされていたのですか?

米田:コンピューターの設計です。今ならDVDや携帯電話の内側に入っている部品のメーカーで、90%以上の世界シェアを持っている会社でした。

辻:忙しかったですか?

米田:そうですね。ちょうどPHSから携帯電話に移行する時期でしたので本当に忙しかったです。

辻:15年ぐらい前ですね。景気はよかったのですか?

米田:ちょうどバブル経済が崩壊した直後でしたけれどコンピューター業界は非常にいい景気でしたね。

辻:あの頃のコンピューター関連の技術者は働きづめに働いてしましたし、時代の最先端だったと思いますが、そういう環境の中でも料理のほうへいきたいという気持ちはありました?

米田:それは会社に勤めて1ヶ月目に思っていました。そもそもその会社に決めたのも香港にも、ドイツにも、カリフォルニアにもあったんです。うちの父親がよく海外にも行っていましたし、自分も将来海外で仕事をしたいという思いがありました。で、なんで自分は海外で仕事したいのだろうと考えてみるとやはり小学校のときにTVで観たニューヨークで成功した料理人の姿があって、これはやはり料理をしたいから海外に行きたいと思っていることがわかって、入社1ヶ月ぐらいで自分は料理の世界に行くことを決めましたね。

辻:じゃあ、実際はどれぐらい勤めてられたのですか?

米田:2年ぐらいです。ただ、大学から会社というまったく新しい世界に入ったときに誰しも「これでよかったのだろうか」って自問自答すると思いますが、その時にすぐに辞めてしまうのは由としませんでした。
 会社に入って、新しい友人たちもできて、仕事の知識も増えて、給料も増えていく目安もでき、安定感も得たときに同じ選択をするかどうかを見て、決めたかったのです。

辻:それには2年間かかったのですね?

米田:その期間を決めた根拠はここの(辻調グループ校の)入学金の3倍を貯金できた時、という風に決めていたのです。というのはそれぐらいの貯金額があればきっとそれなりに余裕のある生活をしていて、ひょっとしたらこの仕事を続けていてもいいのではないかなと思っているかも知れない、って考えていたんです。

photo:DPP_0052

辻:この仕事というのは?

米田:コンピューター関係の仕事ですね。結局、きちんと仕事をしていないのにも関わらずその仕事の全貌を知っているように思うのは間違いだと思っていました。きちんと仕事をしたうえで決めようと思っていたんです。

辻:すごい堅い性格ですね。ではお勤めを始められて1ヶ月目で料理人になろうという夢を持たれて、残りの2年間ずぅっとその夢を持ち続けるわけですよね。その夢というのは料理人になるということだったのですか、それとも料理を通じて自分の店を持ちたいという風なものだったのですか?

米田:オーナーシェフとして自分の店を持って、自分の料理を発信していくという考えはそのときには持っていました。

辻:で、資金を貯められて学校に入学されたわけですね。その頃からフランス料理と決めていたのですか?

米田:それは小学校のときに料理人にあこがれたときに思っていました。

辻:それで"エコール辻"に入学されたのですね?

米田:そうです。