REPORT

代表 辻芳樹 WEBマガジン

Vol.3『Toshi Yoroizuka』オーナーシェフ 鎧塚俊彦

Chef’s interview

2010.12.24

■「コンクールには否定的」だった、でも、「そうとうはまりました。」■

辻:その後、パリで行われた“INTERSUC 2000 Paris”というコンクールで優勝されたのですね?

鎧塚:そうです。最初、僕はコンクールというものに対して否定的だったんです。

辻:これが初めてのコンクールですか?

鎧塚:ちがいます。3回目、ん?4回目ぐらいです。

辻:海外においては初めて?

鎧塚:それもちがいます。日本で参加したこともありました。僕が否定的だったはとりわけ海外のコンクールに対してです。例えば“Coupe de France”、これが海外におっける僕の第一戦です。
このコンクールには味覚審査がありません。それっておかしいでしょ?パティスリーのフランスカップで味覚審査がないというのは納得いかないじゃないですか?でも、文句だけ言うのは嫌なので、結果を残してからから文句を言ってやろうと思って参加したんです。この時、優勝されたのは日本代表で参加されていた野島さんという方でした。僕はぼろ負けしたんですよ。この結果がミイラ取りがミイラになったといいますか、ものすごく悔しくてしばらく否定的だったはずのコンクールにのめりこみました。

辻:コンクールに参加する意義というのは?

鎧塚:人それぞれだとは思いますが、僕に関しては最初「味覚審査がないのはおかしいのでは?」と言いたくて参加したわけです。優勝して「こんなコンクールおかしい」と言うことができれば一番格好よかったんでしょうけれど、世の中それほど甘くなくてぼろ負けしてしまって、「わっー悔しい悔しい」と思ってしばらくは複数のコンクールに参加していましたね。僕がコンクールにのめりこんだ理由はこれです。

辻:で、4回目の挑戦で優勝。

鎧塚:そうです。

辻:この“INTERSUC 2000 Paris”はどういうコンクールですか?

鎧塚:ショコラです。“Coupe de France”や“Coupe de Monde”ほど大きなコンクールではなかったですが、これを最後のコンクールにしようと思っていましたので、結果優勝できたのでよかったです。しかも、このコンクールの作品を目にしてくれた当時ベルギーの三つ星レストランのオーナーシェフが自分の店に誘ってくれたのです。

■ブリュッセルへ:三つ星レストラン デザート部門シェフ■

辻:なるほど。“INTERSUC 2000 Paris”の結果が鎧塚さんにとって大きな転換になる出会いのきっかけになったということですね。ベルギーの三つ星レストランのオーナーシェフですよね?

鎧塚:そうです。今は残念ながら三つ星ではないですが、当時は既に15年ぐらい三つ星を守っていたレストランです。実はその店には僕の友人が料理人として仕事をしていて、彼がオーナーシェフにそのコンクールの写真を見せてくれていたんです。

辻:日本でもパティシエとして仕事をされ、ヨーロッパに渡ってからもやはりパティシエとして働いて、ここで鎧塚さんの人生の大きな転換期としてレストラン・パティシエとして働き始められるわけですが、レストランのデザートを作るということに抵抗感はなかったですか?

鎧塚:いいえ。僕はレストランで働きたいな、という気持ちも持っていましたから。

辻:何時間もの食事が続いた後に一品で勝負するという世界に抵抗はなかった?

鎧塚:抵抗はなかったですね。最初はどのようなものか見てやろうという気持ちでしたが、ここでの仕事は僕の概念を覆しましたね。最初スイスで仕事をしたときもやはり覆りましたけど、ベルギーでもまた覆りましたね。

辻:オーナーシェフのブリュノさんに対してですか?

鎧塚:ブリュノさんに対してもそうですが、とりわけパティシエという職業に対してですね。日本人が特にですが、総じてパティシエというのは真面目なんですよ。きっちりと軸になるものがないと不安なんですよ。僕もそうでした。例えばムースのようにしっかりと作ったものがないと不安なんですよ。ですから前もっていろんなものを準備しておくわけです。
それで注文が入ったらそれらを組み合わせてバチっと完璧なものを作るんですよ。
でも、これは少し違うだろうと感じさせてくれたのがベルギーのレストランの料理人なんです。料理人というのはいい意味で適当って言いますか、大雑把と言いますか、極端なことを言いますと何にも準備していないほうがいいんだ、みたいなところがあります。

辻:格好いいんですよね、そちらのほうが。

鎧塚:そう、格好いいんですよ。でもいざお客さまがいらっしゃって、注文が通る「本番」になるといつもバタバタするんですよ。もう戦場のような状態になるわけです。そういう状態を見ると「少し前もって準備しておけよ」って思っていたんですね。だって「本番」前はゆるい感じなんですよ。
最初はわからないですから「何をやっているんだろう?毎日、バタバタして」と思っていたんです。そのうちその状態が格好よく見えてきたんです。
料理の真骨頂は何も準備せず、お客様の注文を受けてから“a la minute(瞬時に)”で作り上げていく、これが一番美味しいものを作れるのだろうな、と思ったんです。もちろんパティシエの準備周到な仕事の仕方も悪くはない、それはそれなりに意味がある、でもせっかくこういう環境で働いているのだからこの“a la minute(瞬時に)”で仕上げるスキルを身につけなければならない、と考えたわけです。でも、なかなか長年身についている仕事の仕方は変わらないんです。準備していないと不安で、怖いわけですが、怖がっているようではアカン、と思ったんです。しかし、自分の殻を壊すのはなかなか大変でした。レシピとか、技術とかはいくらでも壊して、変化させることはできるのですが、心の中に出来上がっている仕事の作法のようなものは壊すのが大変でした。
そこで僕はそれを一端横においておいて、“a la minute(瞬時に)”の仕事を学ぼうと思ったんです。

辻:なるほど。先回のインタビューに来ていただいた米田さんも「やはり設計図が必要」と仰っていました。パティシエとなるとさらに綿密な設計図が必要になります。これはとても日本人らしい考え方です。
今、仰っている“即効性”は、やはりその人の知識の引き出しがあって、積み重ねた技術があって初めて遊びができると思うんです。レストランのパティシエになられる方は前向きな方が多いと思います。普通は「なんで2時間以上の食事をした後のデザートを俺が出さないといけないんだ」という風に否定的に捉える人が多いと思います。鎧塚さんはポジティブにそういう世界で挑戦してみたいと思われたわけですね。

鎧塚:僕の場合はまずブリュノと波長が合ったんですね。この人は実に偏屈者でしたけれど僕はその部分にとても惹かれたんですよ。この人の料理はどちらかというと主役はこれで、脇役はこれ、そして、風味はこれというガツンとした明確な料理なんです。僕もこの人の料理に合わせたガツンと明確なデザートを作ろうとしてきました。

辻:なるほど。でも、ブリュノさんの料理哲学をデザートで表現するのは大変だったんじゃないですか?

鎧塚:大変でした。ですから僕が唯一ブリュノさんと仲良くやっていけたと思っています。ただ僕が料理人だったらだめだったと思います。ブリュノ親父は他の料理人とは一切合わなかったですから。

辻:否定されてしまったデザートはありますか?

鎧塚:僕は否定されたことはありません。いや、されましたね(笑)。例えばちょこちょことしたソースなどをのせると「このソースは何なんだ?いるのか?いらないだろう!」って言われるんですよ。
このような一言で、本来自分の中で思ってはいたけれど覆い隠していた薄膜を剥がされたような気になりましたね。もちろん「すいません」ということでソースは除きました。

辻:この“L’Assiette de dessert(皿に盛り付けたデザート)”で将来自分は勝負していくと思われたのはこの頃ですか?

鎧塚:まったくそういう気はなかったです。その頃は自分の引き出しのひとつを増やそうと思ってやっていただけです。コンクールもやった、チョコレートもやった、パン屋でも働いたという引き出しのひとつとしてデザートも学ぶべきだろうという気持ちからやっていました。

 

<HP>六本木ミッドタウン 『Toshi Yoroizuka』

<『Toshi Yoroizuka』オーナーシェフ 鎧塚俊彦氏>次回の更新は2011年1月7日(金)を予定しています