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代表 辻芳樹 WEBマガジン

辻調塾in代官山蔦屋書店:第3回トークイベント「今だから、辻静雄の話をしよう!《エスコフィエ》」

講演・シンポジウム・イベント

2013.11.18

少しご報告が遅くなってしまいましたが、先月の10月20日。
第3回となった辻調塾in代官山蔦屋書店が開催されました。

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今回のテーマは、復刊された辻静雄の「エスコフィエ」です。

現在、「月刊専門料理」で「エスコフィエを読む」という連載を担当されているレストラン「サラマンジェ」のオーナーシェフの脇坂尚さんと、その「月刊専門料理」の編集長・淀野晃一さん、さらに辻静雄が改訂版を出す際に編集を担当した「辻静雄料理教育研究所」の研究顧問の山内秀文さん、三人でのトークショーとなりました。

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左から淀野さん、脇坂さん、山内さん

最初に、鹿島茂さんに書いていただいた辻静雄の「エスコフィエ」の解説文を紹介。
「この本で、辻静雄はエスコフィエの人生を辿りなおすことにより、料理人・料理研究家・調理師学校経営者として生きてきた人生の総点検を行っている。辻静雄は、エスコフィエを語ることで、自らを語っているのである」と、その解説にはありました。

辻静雄は、日本のエスコフィエ協会の設立にも尽力し、エスコフィエ協会からも生誕80周年とういうことで記念誌を出していただくなど、生涯を通して辻静雄にとってエスコフィエは欠くことのできない存在であったことが伺われます。

今回の辻調塾では、エスコフィエの成した偉業から、辻静雄の想い、さらには料理業界が抱える課題まで、聞きごたえのある幅広い内容となりました。

辻静雄の略歴は、こちらをご覧ください。

https://www.tsuji.ac.jp/about/establishment.html

19世紀末から20世紀にかけて、現代フランス料理の集大成をおこなった偉大なる料理人「オーギュスト・エスコフィエ」。


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「現在、『月刊専門料理』で連載している「エスコフィエを読む」が私にとってのエスコフィエです。3年前くらいから連載されていますが、それまでは、分厚くて、小難しいイメージだったのが、脇坂シェフに料理人の視点から、抜粋して、わかりやすく解説いただくようになり、実際に、今でも十分使えるものであるという印象をうけました。そして、同じことが、辻静雄氏にも言えます」という淀野さん。エスコフィエ同様、難解だと思っていたもの辻静雄の著書が、読んでみると「おもしろい」と思えたのは、衝撃だったそうです。

さらに、「料理人が、本を読むことは、料理に対して、必要以上に身構えなくてよいことではないか」と加えました。「知らない料理が出てきても、エスコフィエのあの料理をモチーフにしたことがわかればあせる必要がないと思います」。

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脇坂シェフにとっては、この世界に入ってから常にエスコフィエは目標とすべきものとしてそばにあり、しかし、エスコフィエが書いた「Le guide culinaire(ル・ギッド・キュリネール)」の現行の訳書は日本語になっていないくらいよくわからない。そもそも、この本は若い人向けに書かれたもので、新しい新訳を出版したいと思って連載をはじめさせてもらったと話してくださいました。

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山内さんは、「エスコフィエ」改訂版の出版にあたり、辻静雄前校長より、編集を担当するようにいわれ、前校長ともいろいろと話し、自分の意見も取り入れて、書いていただいた思い出深い本だというエピソードを披露。

今回は、本の中からいくつか気になるフレーズをあげ、ディスカッションしていただく形式をとりました。

まず、挙げられたのがこちら

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答えていただいのは、脇坂シェフ。「日本のフランス料理の歴史は、これまで、ホテルが担ってきました。エスコフィエの料理はホテルの宴会場で再現するには、都合がよかったのですが、現在の日本のフランス料理において、普通の人々は、町場のレストランにいくことが多いですよね。エスコフィエの料理は、町場では再現しづらく、今活躍している料理人は、こんなこと思っていないと思います。こう思っているのは、私たちの世代です。しかし、その時代と今は、食材、機器ともに違う。フランスの食材など簡単に手に入らなかった時代です。当時は、セップ(ポルチーニ)のことを、しいたけとよんでいたくらいです。でも、それは、どこか違うのではないかということを感じていました」。

山内さんは、このあとがきについて
「エスコフィエの時代の技法が今役にたつかといえば、そうではないかもしれません。しかし、辻静雄校長自身は、料理人としての社会的なあり方が非常に気になっていたようで、フランス料理人はどうあらねばならないか。その点に重点をおいて書いていたと思います。
技術を伝達するときに、フランスは日本とは違って、こういう伝え方をしていたんだということを伝えたかった。ちょっと校長が理想に近づけすぎなきらいもあります。全体としては、エスコフィエは立派な方でしたが、ちょっと立派すぎますね」。

料理人の育成方法の日本とフランスの違いにふれ、日本の徒弟制度に対して、フランスでは数年で店を移っていく傾向がある。料理教育に対するあるべき姿をエスコフィエにみいだした辻静雄のその思いが、この本に出ていると話しました。


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そして、エスコフィエの書いた「ル・ギッド・キュリネール」について書かれた部分を選んだ脇坂シェフ。

「『ル・ギッド・キュリネール』の序文に、今は初心者でも20年後にわれわれの業界のリーダーとなるべき人に読んでもらいたい本だとしています。本棚にかざっておくべき本ではないのです。当時8フラン、今のお金にすると、3,000円しないくらいです。1900年当時のお金に換算しても日当が5フラン、パンが1キロ3フランくらいですから、10,000円位になりますが、いずれにしても、どうしても手が出ないほどの高い本ではありません。新訳もできるだけ、安い設定で出版にこぎつけたい。」と、その思いを語りました。

「ル・ギッド・キュリネール」は、電子化するとより使いやすい本になるだろうと脇坂シェ。電子化して、検索できるのが理想的。さらにいえば、電子化して、検索できるほどに、「ル・ギッド・キュリネール」は、「体系化した」ということが、もっとも大きな特徴であり、料理のフォンからいろんなソースが作られる。それを順序立てて、ならべてくれている。加熱法、調理法についてもことこまかに、科学的に論考されている。フランス料理の礎といって過言ではない本なのです。

また、「ル・ギッド・キュリネール」、そしてエスコフィエについていうと、今でも、現行のフランス最高職人賞(MOF)の課題は「ル・ギッド・キュリネール」から出題されます。フランスで優秀な職人に与えられるMOFを受賞した料理人だけが、トリコロールの襟をつけることを許される。料理人とって、親方になる、最高の職につくことのできる名誉な賞なのです。フランスの料理人が、今もエスコフィエを大切に思い、自分たちの技術のベースであるとしている証です。

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上記のことについて脇坂さんは、「エスコフィエがいいたかったのは、料理人である前に、社会人たれということであったと思います。例えば、今の若いスタッフでいえば、普段、腰パンをしている人は、調理場でも腰パンになります。そうでないと、居心地がわるいわけです。そういう生活習慣からあらためよということをいっているのです」と話し、山内さんは、「エスコフィエの時代の料理人は、労働条件が悪く、週に1回の休みもとれないような社会的要因が大きく、料理人の社会的地位に対する思いがあった」といいます。

また、エスコフィエは、業界や厨房の中の不正をただし、お金持ちのための食事をつくりながら、食べられない人のための救済というボランティア精神、保険制度を確立するなどの実績も残しています。

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そして、フランス料理に変化を与えた、エスコフィエの影響の大きさについてふれました。
切り分けでサービスしていたのが、皿盛りでのサービスへとかわり、ヌーベル・キュイジーヌがあって完結しました。熱いものは熱い、冷たいものは冷たいうちにという、現代的なスタイルになりました。

「エスコフィエは盛り付けを簡素化したかったのです。盛り付けには、人手がものすごいかかる。そのために、何日もかけて土台を作ります。『ル・ギッド・キュリネール』盛り付けは一切でていない。しかし、盛り付けの名人だった。その技術を捨て、新しく道を切り拓いたのです」と、山内さん。

しかし、脇坂シェフは、「もちろん、簡素化させたのはその通り、しかし現代の視点でみるとずいぶん豪華。すべて、10人分が基本。現代の視点でみれば、いろんなもので飾りをつけている。大皿料理が基本で、絵になったものはないが、再現しようと思うと大変。こうした時代背景を考えないと、簡素とは一概にいえないですね」。と、付け加えました。

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これまでにさまざまなシェフを取材してきた淀野さんから「今は、女性をターゲットをせずに、レストランが成立しない時代ですが、脇坂シェフは、銀座に移って客層はかわりましたか?」と尋ねられ、
「一般より、男性のお客様は多いですね。多分うちでは、普通、フランス料理といって、頭に浮かべるものと違うものがでてくる。いわゆる、高級ではなく地方料理ですから、リヨン周辺ですと内臓や淡水魚が多い。量もすごいです。しかし、実際には女性の方が圧倒的に、好奇心が強い。食に関しては、男性の方が年齢を追うごとに、保守的になるようで、最初にチャレンジしていただけるのは女性です」と、答えました。

山内さんは、「この時代、エスコフィエの料理は、ホテルの料理。それまでは、レストランが中心の宮廷の料理でした。そして、レストランにいくのは、ほぼ男性。現代的なホテルができたのが、19世紀の半ば。エスコフィエが勤めていた、リッツのホテル、そこが社交場として上流階級の女性が入ってOKとなり、女性がオピニオンリーダーとなって、女性からうけないと商売にならないようになっていった。女性が美しく見えるソースなど、エスコフィエも女性に好まれる料理を作ったといわれます」。

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いつの時代も、女性の影響力ははかりしれないようです。

エスコフィエは時代の先端を行くイノベーターでした。
20世紀の高級レストランのあり方を予言していました。もし、今の時代に、エスコフィエがいたら、次のフランス料理の行先を提示してくれたかもしれません。


また、それと同時に、リッツは、ホテルを全く新しいものに塗り替え、顧客の満足度を徹底的に考える感性をもったその人とエスコフィエが出会えたことが素晴らしかったのです。

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最後は、料理のオリジナリティについて。

「残るものではない、消えものとされる料理。一から全部、自分が考え出したものなど何一つもないのです。あと残っている可能性は組み合わせの妙しかない。自分の料理といえるものをもつことへの憧れはありますが、やはり料理は、模倣でしかない。そうやって、技術を蓄積してきました。それとは、脈絡なく新しいものを見つけ出したというのは、ただ単に、本人の誤解だと思うのです」と脇坂シェフ。

「もちろん、今は、分子ガストロノミなど未知の器具などを使い、いろんなことが実現できるようになったことも事実ではありますが。ヒットしたら、みんなが真似するぐらいでいいと思います。十分名誉なことじゃないですか。「フォアグラ大根」は古いですか?一時期、みんなが真似をしました。あれでいいと思うんです」。

真似という点について
「専門料理はプロ向けの雑誌ですので、専門料理に出ていただくということは、技術について取り上げるので、ライバルに手の内をみせることになるのですが、ありがたいことに、みなさんに、取材をうけていただけます」と淀野さんがいうと、脇坂シェフは
「料理人の仲間うちでは、専門料理にでるというのは一つの目標。「専門料理デビュー」ともいっていっているくらいです(笑)」と、答えました。

また、山内さんは、
「ルセットには著作権がありませんが、フランスで一時期、お金をとるという時期がありました。日本で、出版をする際に、少しもめましたが、20世紀最高の批評家といわれるアンリボーが、メディアにとりあげられなくなるとして意見をしてくれたおかげで、お金をとらなくなったというようなこともありました」。

「ルセットなんかあっても、考え出した人とどうせ同じ料理なんか作れません。もしかしたら、劣化コピーで訴えられるかもしれないですよ。楽譜みたいにきっちり残せるものでもないですし。味は、食べる人の、体調にもよったりしますしね」と、脇坂シェフは話し、
「取材をしていても、真似については、料理人も敏感になっていて。誰が誰の料理をだしている。なにかオリジナルを作らなければという意識が強すぎるように思います」と淀野さんも続けました。

「フランス料理は、技術のベースがあります。ベースが同じだとするなら、どっちがうまいのか。それが勝負なわけですから。真似、大いに結構なことだと思います。自分の作った料理を誰かが作っている。名誉なことじゃないですか。料理人は、センスで勝負するよりほかない。経験を積んでくれば、それだけ技術はあがりますがセンスの前にはかないません。若い人でもセンスのいい人はもちろんいて、追い上げられていますよ。「ル・ギッド・キュリネール」を自分の中に入れておくことは、引き出しをひろげることです。ル・ギッド・キュリネール」は今も力をもっていますし、エスコフィエの時代は終わったということは、ヌーベル・キュイジーヌが始まった時点からいわれています。終わったと断言したい方は、ご自由に。けれど、終わっていないという自由もください」と脇坂シェフは、熱いを気持ちを覗かせました。

「専門料理で取材するような方は、みなさん読んでいらっしゃいます。読んだ方が勝てる、差をつけられるということなんだと思います。裾野を広げていくためにも、連載は、今後も取り組んでいきたいと思っています」と、淀野さんが話すと、
「料理人以外の方からも連載を読んでいます。ということを聞きますが、立ち読みらしいので。。是非、買って読んで欲しいです。新訳発売にこぎつけたときは、お買い求めください」。と参加したのみなさんを笑いを誘いながら話を終えました。

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最後の質問のコーナーで、「エスコフィエ以降、技術を体系的にまとめられたものがないように思います。ほとんどがレシピ集であることについて、どう考えていらっしゃるか」という質問に対して

「エスコフィエの著書が、何も付け加えられるものがないほどの完成度だったと、私は考えています。Antiを唱えた人もいたが、それがヌーベル・キュイジーヌの流れの一派を作りました。エスコフィエは終わった、と。しかし、その後の料理が、全くエスコフィエと違うものとはいいがたく、ヌーベル・キュイジーヌも結局のところエスコフィエのものが変化したものだと思います」。

脇坂シェフの答えは、エスコフィエの成した偉業をあらためて感じさせるものした。