REPORT

代表 辻芳樹 WEBマガジン

『グローバルな視点からみた食の仕事を考える』校長・特別授業

講演・シンポジウム・イベント

2014.02.10


辻調グループでは

年に数度、各校で辻芳樹校長の特別授業があります。

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今回の授業は、グローバル化する時代において、料理人またパティシエ、食の業界に携わるものとして考えていくべき視点のお話でした。


「料理の技術が国境を超えたときに、あるいは、まったく違う味覚・価値観をもった人々にどう伝わるか。そのことについて、海外のケーススタディを紹介しますが、答えは用意していません。このことをヒントに、グローバルな視点からみた食の仕事(の本質)を、みなさんと一緒に、考えていきたいと思います。」と、授業は始まりました。


まず、今回の内容である「食の仕事の本質を考えるための」

3つのアプローチが提示されました。


●世界の中の日本食(現在)
異文化の中に日本食ビジネスが飛び込んでいくときに、どのような変換作業が必要になるのか。
3つの簡単な事例を紹介。

●日本料理の本質(過去)
日本料理って何なの?どこから来たの?
もういちど外部の視点から、外国人になったつもりで、海外の人たちに日本の食を発信する
ことを通して、グローバルな視点とは何か?を考える。

●レストランの未来を考える(未来)
ある特殊な環境にあるレストランの事例を紹介。
環境の時代といわれる21世紀に、食の仕事が担うものは何か、食の時代の将来像を考える。

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今、世界中で、和食が注目されています。
昨年、11月末に和食が世界無形文化遺産に登録されました。

文化庁の委員でもある校長は、
「一方で、和食が危機にさらされています。和食を守らなければならない前提で
その中で登録申請をしました。」とおっしゃいました。

日本料理のお店は、現在、世界中に約5万店。日本料理として、認知もされています。

しかし、懐石料理をそのまま、外国の人に食べさせて美味しいといわせられるでしょうか?
和菓子は?ラーメンは?そのまま、外国の人に受け入れられのでしょうか?

1つ目のアプローチとして

その問いに、一つの答えを出すためのレストランが、NYのトライベッカにあるブラッシュストロークです。

日本料理のフレームを崩さずに、外国人の味覚にあうようにした、

料理以外のもので、過度・特殊な演出をしない主義のお店です。
コースは、85ドル、135ドルの2種類。

辻調グループとデイビット・ブーレイ氏の共同経営、産学共同プロジェクトのお店です。
デイビット・ブーレイ氏は、フランス料理で25年以上成功している人物。
日本料理のフレームを崩さずに、海外に味覚をあわせることができるか。
お店をたちあげて3年、プロジェクトはその10年前から立ち上がっていました。

辻調の卒業生である山田勲料理長と辻調のスタッフ2名。
日本料理のフレームをはずすことなく、しかしこれまでの既成概念にとらわれない。
海外にあわせるための変換作業をどうやっておこなっているかが、紹介されました。

まず、一品目は、あん肝と空豆、赤ピーマンのジュレ。
日本料理でいう先付けです。アメリカでは、魚の内臓を食べる習慣がありません。
フォアグラに似ているけれども、食感とどうしても魚くささが気になります。
外国の人には、あん肝のクリーミーな味わいはわかりようがありません。
そこで、お酒とみりん、醤油を加え、低温で炊くことで、フォアグラにコニャックのように仕上げます。
ジュレに関しては、土佐酢だけでは、酸っぱすぎるので、りんご汁を煮詰めたものを加え、甘みと酸味を足しました。

また、茶碗蒸しと黒トリュフでは、出すのをみんなが反対しましたが
フランス料理では卵と黒トリュフは絶妙の組み合わせです。
外国人に感覚的な記憶をよみがえらせることを意図しました。

さらに、かさごの西京焼きですが、アメリカの魚は水分があるので、
日本のような、水分をとって、味噌の風味をつけて食べる西京焼きなどは、アメリカ人にとっては、ドライな魚なのです。

ジューシーでないといやだと、99%の人が残してかえしてきました。

しかし、魚の臭みを残して出すわけにはいかない。
そこで、あえて水分をとり、旨味のあるトマトウォーターに漬け込んで、さらにそこに味噌漬にして、低温で調理しました。

すると、美味しいと評判になり、今では店のスペシャリテとなっています。

そして、外国の食事では最後は肉でしめます。
ブラッシュストロークでは、ほうじ茶の香りをつけた鴨を出していますが、

ほうじ茶は日本のもの、低温調理はフランス料理の調理法です。
実験的に、外国人の味覚にあわせた料理に挑戦しながらも、どこまでが日本料理なのか?

という疑問が、校長自身から投げかけられました。


2つ目に紹介されたのは、西洋を日本の料理(お菓子)に変換した事例です。

辻製菓専門学校の卒業生、藤田怜美さん。
2003年に辻製菓専門学校からフランス校に進学し、アルプス地方のショコラティエールで研修後、帰国。

東京のレストランのパティシエとして働いていました。
2005年再度、渡仏。2つ星で修業、シェフパティシエとなり、2008年にはフランスのデザートコンテストでも4位に入賞しましたが、2010年に和菓子研究会に参加したのをきっかけに、和菓子に感銘を受け日本に帰国。京都の亀屋吉長で修業を始めます。

3年間の修業ののち、西洋のもつ技術と和菓子の作品を組み合わせた試作品をつくり
それがオーナーの目にとまり、デパートに出品することになりました。

そして、藤田さんの洋菓子の経験と、200年の伝統を誇る和菓子が融合した
Satomi Fujita by KAMEYA YOSHINAGAというブランドが立ち上がりました。

「彼女の研鑽、努力はもちろんですが、商品開発を許可したオーナーの懐の深さに感銘を覚えました。

職人の名前がついた和菓子など聞いたことがありません」と、校長は言います。


ここで、百聞は一見に如かず。

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藤田さんのお菓子の中で、桃山という和菓子の技法をふまえた「ほのほの」というお菓子が配られました。

皮に、パルメザンとクリームチーズを加えた濃厚なお菓子です。

実物を試食して、学生の間からは
「めっちゃうまい」という声が聞こえました。

校長は、「これを和菓子とみるか?西洋菓子とみるか?想像しながら、食べてみて」
と、学生に和菓子か、西洋菓子かを問いかけながら、

「きっと、ブラッシュストロークの料理を外国の人が食べている感じを想像できるのではないか」

とおっしゃいました。

以上の紹介した2つは、異文化の技術変換のケース。


3つ目は、スタイルを変換したケースが紹介されました。


福岡に本店をおくラーメンの一風堂。
マンハッタンに2件、海外を含めると90店舗以上。
マンハッタンのお店は、日本の3.5倍の売り上げがあるそうです。

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ブラッシュストロークは、懐石料理のコンテンツを変えることにおもしろさが
藤田さんは、和菓子の中に西洋を取り入れる事で、日本料理の可能性を見出しました。

一風堂は、ラーメンというコンテンツを変えずにラーメンを出すストーリーを変えました。

一風堂に行くと、レストランと同じように名前をきかれます。
30分くらいは、またされるのでその間にお酒を注文し、名前を呼ばれて入るときは酔っているくらい、メニューを開くと、37、8品はあります。また、いくつか注文し、しめにラーメンを食べる。しめにラーメン。それは、日本と同じですね。
ただサイズは2/3くらいで、1500円くらい。合計すると、1人5,000円くらいで、2人で行くと10,000円くらいになります。

このケースは、自分がもっているコンテンツを出すときにどういう変換作業が必要かを、

グローバルな視点で考えたケースです。

NYの人たちは、即席のラーメンを食べるよりも、ある時間を通して、

お酒、前菜、メインをコースで食べることを食文化だと思っているのです。


紹介した3つは、すべて日本料理の例です。


「では、どこまでが日本料理で、日本料理じゃないのか?」

それを理解するためには、私たち自身が、食文化の変遷を知っている必要があります。
グローバルな視点を持つためにも、自分達の立ち位置をしっかり知って欲しいと思いますと、
次に、過去・歴史をしるためのアプローチ「日本料理とは何か」という話題に移りました。

2つ目のアプローチです。

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2010年秋に、アメリカのナパバレーにある、4年制の料理大学、CIA(CULINARY INSTITUTE of AMERICA)で開催された食に関する学会で、校長が日本食について行った基調講演、日本食の全体像「日本料理の伝統と革新、その多様性」のダイジェストが話されました。

「最終的に、日本料理の特質とは、外部からの影響をうけてそこに日本的な工夫をして進化させて、革新的なものを生み出したことにあります。それを伝統的なものに仕上げ、伝統と革新のサイクルが文化的なエンジンとなって、食文化の多様性を生み出しているのです」。

島国の入り組んだリアス式の海岸線と、国土を毛細血管のように流れる川、暖流と寒流が出会う日本の地理的環境が、多くの種類の魚を擁する豊かな沿岸の漁場を作っていること、そして、奈良時代あたりからの政策として取り組まれた稲作、中国から伝わった肉を食べない習慣、比較的温暖な気候が、お米と魚、野菜という日本の食事システムを作り上げました。

日本は、食文化や生活文化の多くを、大陸、特に朝鮮や中国から輸入・吸収し、日本の風土と文化にあわせて新しい価値を創造し、発展してきました。

また、日本の食文化を考える上での非常に重要な都市が3つあります。。

江戸(将軍)は、武士が集まり独自の文化をとげ、京都(公家)は、日本文化の基礎となっています。大阪(商人)は、商人を中心に経済的発展でパトロン文化(娯楽としての食文化)が栄えました。

江戸時代までは、大陸・南蛮経由で西洋からの文化を数百年渡って大量にうけいれ、その後鎖国によって200年国を閉じ、日本は外からの影響をうけず独自の文化を発展させました。

日本独自の文化の多くが、江戸時代に確立します。
歌舞伎、相撲、楽器などをはじめ、食文化も同じです。料理本なども、この時代にブームになりました。
相撲の番付表にならった、ミシュランガイドのようなものを遊びでつくるのはこの時代です。大都会の江戸に、武士、商人、地方の藩士などが集まり、飲食店が繁盛し、屋台や江戸のファーストフード寿司、うなぎ、天ぷら、そばもこの頃です。

明治維新以降、肉食が解禁となり、すき焼き、カレーライス、とんかつなどの西洋料理が入ってきましたが、日本には、外国のものに柔軟に対応できるだけの素地がありました。

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では、日本食のヒエラルキーの頂点にある「懐石」とは何でしょう?

懐石を形成する2つのファクターがあります。
それは、精進料理と茶の湯です。

鎌倉時代に中国に留学した禅僧が持ち帰った精進料理は、それまでの武家のための本膳料理、公家のための大饗料理に技術革新をもたらしました。肉食を禁じた制約が工夫をもたらし、宗教的な美しさ、美味しさ、○○らしさという、食感や味わいをみせる「○○もどき」というものが生まれ、調理技術が発展しました。

また、茶の湯は、中国からもたらされ、日本独自の茶の湯として、お茶を楽しむために社交の場としてさらに進化し、建築、お花など総合芸術、料理技術と精神性が融合し磨き上げられたのが懐石料理。

西洋料理も、一見、西洋料理にのみこまれたようにみえながらも、西洋料理が日本風にのみこまれる形で洋風という新しいかたちを作り出してきました。今でも、そういうかたちが取り込んでいくのが日本文化です。


最後に、未来を考えるアプローチ「今、何を食の世界で考え直すべきなのか?」というテーマです。

世界の高級料理といえば、今ももちろんフランス料理は、その頂点、発信源といっても過言ではありません。しかし、北欧、南米など同時多発的いろんなことがおこる時代になりました。昔とは比べ物にならないくらい、情報交換し、一瞬にして情報が世界をかけめぐる。日本料理も世界の注目のまとになっています。

一方、食べる側も新しい味を求め、世界中の食文化に対して高い関心がありますが、表面的な流行に動いてしまうと、レストラン業としては成功しない。やっかいな時代です。


そんな時代の中で、校長が感銘をうけた
「BLUE HILL at STONE BARNS」という広大な農場にあるレストランの話が紹介されました。

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ストーンバーンズ農場は、アメリカのロックフェラー一族が、孫娘のために、週に一回、乳搾りをさせるためだけに所有していたという、80エーカー(東京ドーム7個分)もある農場です。

1996年には、すべて国に寄付され、現在は、堆肥を使って自家発電を行うなど新しい時代のエコロジーを追求する非常におもしろい実験農場です。農業はもちろん、穀物や野菜、畜産や酪農においても持続可能性のためのいろんな工夫がされています。若手の農業者を育てるプログラムも実施され、農場の経営についても、経済的な持続可能性を追及しています。

校長の友人でもある、ダン・バーバー氏を2004年にロックフェラーの一族が彼を招聘し、農場の中に、50席のレストランをオープンしました。農業生産、消費者を視野にいれたレストランとして、全米でとても注目されています。

「これからは、食材に対するアプローチ」

21世紀のレストラン業にとって、これが一番重要な課題になるのではないかと思います。
これまでの意欲的な料理人に達は、「市場へ行こう」。でした。食材の重要性について話す。
それがいまでは、「生産者のもとへ出かけていこう」です。

ダン・バーバー氏がやっていることは次の段階のことで、生産者とともに料理と作物を進化させます。

彼の料理は生産者との強いコミュニケーションからできていて、料理の可能性を引き出し、新しい食文化を作り出しています。

生産者が同じ敷地内にいて、料理人と刺激しあい、野菜一つ一つとってもアイディア次第で変化する。このレストランでは、お客様だけでなく、生産者にも見せることが出来るのが重要なのです。往々にして、高級レストランでは、装飾や舞台装置にお金をかけ過ぎて料理そのものの力を見失いがちですが、ここでは素晴らしく説得性、そしてメッセージがあり、お客様の満足がある。作物の味、質、形状の方向性をコントロールし、それを食べるお客様をみながら、ダイレクトに農業にフィードバックする。

これ自体は特殊なケースですが、モデルケースとして、取り組む意義があります。


そして、飲食業界が抱える、担う一つの役割は、
農業へのリスペクトを子供から大人へのメッセージとして伝えていくことです。
農業を中心にとらえた社会のあるべき姿を。

実際に情報が多すぎる今の時代は、昔よりも考えなければいけないことが多く、次々と新しいものがうまれてきます。

しかし、自分たちがやっていることをどう掘り下げればいいか。
必ず、原点に立ち返らなければならない質問があります。

それは、レストラン、我々の仕事は何のためにあるのか?ということです。
答えは「お客様の満足を出すこと」でしょう。


しかし、それにも矛盾があり、レストランがお客様の満足を追求しようとすると
コストが増していきます。チェーン店でも、高級店でも同じ。儲けが減ります。


満足と経営を、どう克服していくか。今後の大きな課題です。

ですから、今以上に、グローバルに、市場にも大きな視野が必要になってくる。
そのためには、考える、考え続けることにつきます。

在学中に料理という芸術だけでなく、経営がどうなされているか。
研鑽の仕方、勉強の仕方を学んで欲しいと思います。


料理、レシピをいくつ手に入れたかが重要なのではなく、
卒業した後も、過去や歴史を学び、その時の仕事を通じて、
自らがどの技術のレベルにいるか、その立ち位置を知ることが、
ビジョンや探究心へとつながるからです。


最後に、校長は昨年ポール・ボキューズ氏にインタビューした映像を流しました。

87歳、45年ミシュランの星を落としたことがない彼がいう
「レストランにおいてその価値を決めるのはお客様である。店を続けられてお客様が入る、それが一番素晴らしい」というストレートなメッセージは、学生にはどう響いたでしょうか。


これから食の仕事にむかっていく学生にとって、この授業が将来の食の仕事を考えるためのヒントとなってくれること、そして食の仕事に携わるものとして、考え続けるための基本の知識や技術を辻調で身につけ、研鑽を続けていって欲しいと思います。

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