REPORT

代表 辻芳樹 WEBマガジン

『吉兆』嵐山本店 総料理長 徳岡邦夫 Vol.3

Chef’s interview

2010.10.15

  ●一にコミュニケーション、二にコミュニケーション。

辻:なるほど。さて、徳岡さんのような境遇ではない若い人たちが同じ年月を同じように厨房で修行するとしたら、何を最優先に学ぶべきだと思いますか?

徳岡:コミュニケーションでしょうか。

辻:仕事の流れにおけるコミュニケーション?

徳岡:すべてのコミュニケーションです。先輩との、サービスとの、出入り業者とのコミュニケーション、そして、ご近所の方との、それにできればお客様とのコミュニケーションなどすべてです。

辻:若い人たちの場合、今、自分が従事している仕事のみをミクロな視点で眺めてしまうと思います。そこをいかにもっとマクロな視点でみることができるかということだと思いますが、そのためにはどのように自分を訓練していけばいいのでしょうね?

徳岡:意識を高くもつことです。そして、意識を高く持つためにはいろんな価値観があるということを知らなければいけない。そのためにこそコミュニケーションをとらなくちゃいけない。いろんな人と話をすることで、人それぞれの価値観があるということを知ることができます。
 料理というものは沢山のレシピを知っていることが大切なわけではなくて、レシピを元に自分をきちんと表現できること、伝える相手を定めてきちんとその人に伝えることができないと意味がない。それが出来るためには料理の技術も必要ですけれど相手のことを知ろうとする意識を持つことができるかどうかだと思います。

辻:そのような意識を持つためにもコミュニケーションが必要だと。

徳岡:そうです。そういった意識はさまざまな人たちとコミュニケーションをとることで培えることができるものです。技術は数をこなすことで誰でも身につけることができます。
 でも、人としての力といいますか、能力を自分のものにするのはなかなか難しいですね。仕事を問わず人間力でどんどん差がついてくると思います。人間力ていうのは生きていく力だということです。生きていくときに自分ひとり
で生きていけるかと言うとそうではないですよね。いろんな人たちとのコミュニケーションの中で自分自身を、あるいは自分がどこで求められているか、ということをちゃんと表現できないと求められないですから。コミュニケーション力のひとつが料理する技術だったり、写真を撮る技術だったり、フラワーアレンジメントの技術だったりするわけです。

辻:そういう風に俯瞰的な視点を持てる人物の場合すごく有効だと思うんです。ただいかなる料理であれ、一種"総合芸術"のような性質を持っていて、そのひとつのプロセスをそれぞれが任されているわけですね。なかなかその
"総合芸術"のすべてを学ぶというのは何年もかかることですし、与えられたポジションだけを見つめて仕事をすることさえも難しいなかで、そのことを理解しながら調理場で自主的に自分が何をすべきか、どのように動けばいいのかを
理解するためにはどのような努力をなすべきだと思いますか?

徳岡:やはり意識を高くもってコミュニケーションすること、もしくは「こういう考えもあるんだ」ということを知ることはやはり大切だと思いますね。今、こういう話を聞いたり、映画をみたり、本を読んだりしてこういったことをなんとなくわかった気になるんですけれど実際には自分で体験しないと自分のものにはならないですね。

辻:じゃあ、どうすればいいかのでしょう?

徳岡:行動に移すしかないですね。行動に移して失敗するしかないです。何度も何度も失敗して、その中で「どうすればいいんだ?」って真剣に考えること。何回失敗しても人生終わりじゃありません。何度も失敗する中で「どうすればいい?」って考えるチャンスを何度も経験することでたぶんそのことは体感できると思いますね。
 まず、自分ひとりでは何もできないです。そこで自分の無能力さに気づきます。でも、やらなくちゃいけないんですよ。もう人の手を借りるしか、みんなでやるしかないじゃないですか。そのためにはどうすればいいのか?手伝って欲しい人のために何かプラスになることを与えてあげないとその人はやってくれません。ギブ&テイクが成り立たないと誰も動いてくれないでしょ。

辻:自分から掴みとりにいかないとだめだということですね。

徳岡:そうです。(学生に)皆さんがこの学校に来られているのだってお金を出して学んでいるんでしょ?ギブ&テイクが成り立っているということです。就職すると給料をもらいますね。給料もらっているのに誰かが教えてくれる?そんな甘くないよね。普通、給料をとっている人は求められたことができなかったらクビになりますよ。当たり前の話でしょ。それを自分で体感することです。こういうことが僕の言うコミュニケーションというものの具体的な内容です。

辻:ありがとうございます。ところで徳岡さんの修行時代には師匠という人物はいらっしゃったんですか?

●「湯木貞一、その人になりたかった」

徳岡:師匠ではありませんが、湯木貞一という人物が僕の憧れでした。"湯木貞一"その人になりたかったです。

辻:そりゃもうよーくわかりますけど(笑)湯木さんから学ばれた最大のことは何でしょう?

徳岡:一番大きなことは料理の技術とかいうものではなくて人との関係ですよね。例えばお茶会に行くときに、当時は既に80歳を越えていたので何かあってはいけないというので付き添いとして孫の一人である僕が同行させてもらっていたんです。そういう場で目の前に総理大臣がいたりとか、会うことができないような文化人の方がいらっしゃったりして、湯木貞一が話をするのを聞いていたりという経験を僕は持っているわけです。

辻:料理ではないのですね。

徳岡:料理ではありません。

辻:では料理についてああだこうだって説明を受けられたような経験は?

徳岡:もちろん調理場の中ではあります。例えば、突然大正の頃のバカラの器で熱々の"お椀"を出したいというわけです。いや、それは割れるのでやめましょうとみんなが反対します。でも、「割れてもかめへん」ということでやるわけです。案の定いくつかは割れてしまいます。すると「もうひとつ持って来いっ」ていうわけです。何度でもやる、そういうところはありましたね。

辻:(笑)なかなかのチャレンジャーでいらっしゃったのですね。

徳岡:父に聞いた話ですが、湯木貞一が非常に厳しかった頃の現場(調理場)の話なんですけれど、当時は料理人は皆高下駄をはいて仕事をしていたわけです。湯木貞一は調理台の上の高いところにスペースを作り、そこに座布団を敷き、正座して調理場全体を監督していたんです。ある時、鉄の鍋を運んでいる料理人がいて、高下駄を履いているので滑った拍子にその鍋の縁で腕を切ってしまい血が吹き出たわけです。周りのみんなが「大丈夫か?」って駆け寄る中、湯木貞一は「鍋、割れへんだか?」と言ったって話があったらしいです。

                            <笑い>
 いずれにしろ厳しい人でしたので、その人のもとでの経験を経て、さまざまな人との関係を目にすることができたのは僕にとっての大きな糧になっていますね。

辻:とても生意気に聞こえるかも知れませんが、湯木貞一というとてつもない料理感性の持ち主のスタイルをあの当時の料理をまったく再現することなく、一番濃く引き継がれているのは徳岡さんではないか、と僕は思っています。しかも、その面影とか哲学を残しながら徳岡さんは徳岡さんの料理を提供されている。これはすごいことですね。
 日本料理における「侘び」「さび」の世界観と徳岡さん特有の「華」を両立させながら表現されている。
まさにこの部分が見事に徳岡さんが湯木さんから引き継がれたもの、そして、、これこそ伝統と革新の両立と言えると思うのですが、先ほどのお話を聞いていますと湯木貞一さんから料理のことを直接というより、人とのコミュニケーションということを学んだと仰る。では、こと料理に関していったい何を守って、何を捨てられたのですか?

徳岡:多くの人は湯木貞一の料理の完成品を見て、それの形を、その風味を皆真似するんですよ。でも、本質はそうではありません。
 ここが一番大事なところなんです。物とか形とかの価値観というのは時代に応じて変化することを考える必要があります。世の中の価値観が変化しているのに湯木貞一の料理をそのまま再現しても評価されるわけがありません。そうではなくて当時湯木貞一がどういう背景の中で、どういう思いでその料理を作り上げたのかというプロセスなどが大切です。この思いとはひとえにお客様へのものですよ。料理人が料理を作るのは本に載せるためではなく、目の前のこの方に食べていただこうとの思いです。それはそのお客様のことをすごくよく知って、その中でどうすればその方に喜んでいただけるかということを自分のもっている限り力を出し尽くすんです。それは「お軸(掛け軸)」であったり、
座敷の雰囲気であったり、器であったり、もしくは自然現象であったり、とか、様々な要素をすべて駆使して表現をするのです。そして、その中の表現の一つが料理だったり、風味だったりするんです。
 となると料理というのはひとつの表現方法だというだけで、最も大切なのは人に対する思いなんですよ。料理だけではなくて、茶会などでの話すときの言葉なんかに湯木貞一の思いというものがあるわけです。
そういう経験を得てきているので、湯木貞一が当時作っていた料理を今再現することではないということに気づくわけです。
 先ほど僕は「"湯木貞一"その人になりたい」って言いましたよね。なれるわけがありません。なぜか?って、それは僕が"湯木貞一"ではないからです。僕は徳岡邦夫なんですよ。ですから"湯木貞一"ではなくて、"徳岡邦夫"の表現をしないと何も伝わらないんですよ。このことを学んだ、というか気づかされということです。

「『吉兆』嵐山本店 総料理長 徳岡邦夫」次回の更新は10月22日(金)を予定しています。