REPORT

代表 辻芳樹 WEBマガジン

Vol.2 『Hajime Restaurant Gastronomique Osaka Japon』オーナーシェフ 米田肇氏

02 会う

2010.11.12

■『エコール辻大阪』から始まった■

辻:在学時代はどんな学生だったのですか

米田:いつも一番前の席に座って、ノートを必死でとって、その当時の先生からは鬱陶しいと思われるぐらいに事細かに質問していましたね。例えばある素材を1cm角に切っているけど1.3cm、あるいは1.5cmではだめなのかって訊いたりしていましたね。

辻:エコールに入学されたときは既に25、6才でしたね。ほとんどの学生とは年齢の開きがあったと思うのですが戸惑いはなかったですか?

米田:まったくなかったですね。一人の人生って長くいきても80、90歳ですから、時間は思っているほどないです。「どうかな?」っていろいろなことで余り迷っている暇はないと思うんです。

辻:在学中にご自分のこれからのキャリアのこととか、人生設計とかをどれぐらい先まで考えられていました?

米田:とりあえず考えたのは30才までにフランスへ渡って修行しようと。

辻:『カンテサンス』の岸田さんもまったく同じことを仰っていました。

米田:そうですか。それから35才で自店を持つ。それまでの修行するレストランもまずはこの店にいって、次にここへ移ってみたいなことまで細かく考えていましたが、実際はまったく違う経路になってしまいました。

辻:エコールに入学されたのプラスになった?

米田:もう本当にすべて勉強で損になることはないと思いますので、絶対にプラスになりました。

辻:ま、学業というのは毎日単調で気持ち的に学べるときも学べないときもあると思うのですが、そのモチベーションをどうやって維持されたのですか?

米田:一つには自分でお金を貯めて入学したということがあると思います。

辻:自己投資をしたことへの回収認識ですね。

米田:そうです。勤めていた2年間というのはかなり節約につぐ節約で、1週間まったく同じ料理を食べていたりとか、本当に節約しましたので・・・

辻:学校で学んでいるときにその技術が身についているかどうかというのはどういうときに感じるのですか?

米田:身についているというよりも吸収したかったというだけでした。耳にすること全て知らないことばかりでしたから。

辻:それがいつか役にたつかと・・・

米田:いや、そんなことは考えていなかったです。とにかく勉強したかっただけです。単に美味しい料理を作りたいという気持ちだけです。これは今も変わりません。

辻:学生時代にやっておいてよかったと思うことはありますか?

米田:ノートをきっちりととり、整理したということですかね。これをすることでフランス料理の考え方ていうのがある法則にのっとって出来ているのだな、ということがすごくわかりました。

辻:それはコンピューターの世界と同じですか?

米田:同じですね。

辻:すべてに理由がある?

米田:ありますね。

辻:即興性などの以前の問題ですね。

米田:そうですね。

■「できるだけ厳しい店を紹介してください!」■

辻:先ほども訊かせていただいたのですが、ご自分の将来に関してそうとう明確に設計されていたと思うのですが、8月ぐらいに今後の進路に関しての指導があると思います。その際にどのような視点で店を決めようとされていました?

米田:その頃はフランス人の料理人がいる店にとにかく行きたかったです。

辻:日本で。

米田:日本で、です。それで一番最初に応募したのは東京の『Taillevent-Robuchon(現在のRestaurant Joel Robuchon)』でしたたけれど現在は空きがないということで書類を送っておくにとどまりました。それで進路指導部の先生方や調理の先生方に「できるだけしんどいレストラン、シェフが完璧主義者のところにいきたい」というリクエストを出して、結局紹介していただいたのが大阪の某レストランだったんです。

辻:米田さんが進路指導部で「もっとも厳しい店を紹介して欲しい」と言ったのは有名な話ですよね。なぜ、このようなリクエストを?

米田:料理を始めた年齢が25才ということですね。18才から始めた人たちは既に経験があるわけです。彼等と同じレベルまで持っていくためには絶対に厳しいところがいいだろうと思ってこういうリクエストを出しました。

辻:大阪の店の次には?

米田:神戸の店です。

辻:もちろん明確なビジョンを持ってということなのでしょうが、お店を選ぶ際に何を基準にされていたのですか?

米田:これが今の学生さんたちに当てはまるとは思わないのですが、私が修行していた時代はフランス料理がフランスで作られている料理と日本で作られている料理が同じものかどうかという概念がベースになっている時代でした。ですのできちんと「フランス料理店」というカテゴリーに属している店を選ぶというのが基準でした。

辻:味覚のフレームワークとして?

米田:フレームワークもそうですし、作り方もそうです。例えばベースもできていないのにも関わらず変わった作り方をしている店というのはその頃の私には必要なかったということです。きちんとしたベースを知りたかったので実際にフランス本国と同じ作り方をしている店を選ぼうと思っていました。

辻:おそらくどこの国でもそうだと思うのですが、フランス以外の国でフランス料理が作られるときには本国に追いつけ、追い越せで、進化させてやろう、変えてやろうということで起こってくることですよね。

米田:そうですね。現在の日本ではフランス料理はどこにでもあって、さらに飛び越えた状況になろうとしているのですがその頃は目の前の料理がフランス料理かどうかというのをお客さま自身も知らなかったと思うんです。「これがほんとうにフランス料理ですか?」というところから始めたと思うのです。するとシェフが「これはフランス料理です。私はフランスの何処そこで研修をしていまして、その店で出されていた料理がこれです」 というのがよかった時代なんです。ですから当時の料理人の方々はフランスの何処そこでで研修した、というのをずらっと書いてあったりするわけです。
 現在はむしろ海外のどの店で研修したというようなことは逆に公にしないです。これは三つ星のシェフたちが
が自分がどの店で仕事してきたということよりあくまで"自分の料理"を提供しようということに集中しているのと同じことだと思います。当時はヨーロッパで修行してきたことが「箔」になったと思うのですが、今はちがうと思います。

■「それでもフランスに行きました」■

辻:それでもフランスに行かれたのですね?

米田:ええ、それでもフランスに行きました。やはり自分の目でみないことには本物かどうかいえないですし、やはり現地へ行って三つ星レストランや二つ星レストランで仕事をして、「僕はこういうレストランを求めているのではない」と言えますけれど知らずに言うというのは余りよくないと思いましたので、本場のレストランで修行して自分のしたいことをしようと思いました。

辻:フランスにつてはあったのですか?

米田:まったくありません。

辻:じゃあ、いきなり行ったのですね。

米田;そうです。でも、行く前にいろんな料理長に相談をして、最終的に「研修」ということで紹介していただいて行きました。

辻:どういったレストランで修行を?

米田:最初の店はジビエ料理専門のレストランで、日本ではなじみの薄い食材をスペシャリテとしているということで選びました。この店ではたくさんのことを学べました、次の店は最初の店から車で30分ぐらいにあるミシュランで1つ星のほんとうに小さなレストランでした。最初はたまたま客として食事に行きました。店の前まで行ったら外観も格好よくないし、「ほんとうにこの店営業しているのかな?」って思うほどでしたね。ところが実際に食事をしてみて驚きました。今までの概念を覆すような独創的でしかもとても美味しい料理でした。「こういう料理を作る料理人の頭の中はどうなっているんだろう」と思いましたね。それから4ヶ月ぐらいの間に全部で11回ほど食べに行きました。

辻:有名な店ですか?

米田:フランス人の中では「あの店は美味しい料理を出す」というので有名ですね。

辻:独創的というのは主にスキル、例えば火の通し方とかそういうものですか?

米田:いえ、ちがいます。食材の組み合わせ方です。どういう発想からこういう組み合わせが生まれるのだろうっていう感じです。もう素直に美味しいと思ったんです。ですからこの店がもし市販のブイヨンを用いていたとしても私が心から美味しいと思った料理なので信じようと思ったぐらい美味しかったですね。

辻:へぇ~

米田:そして「この店で仕事をしたい」と思うようになったんです。何度も食べに行っているうちにシェフのほうから「料理人なのか?」ということになって、今の店がもうすぐ研修終了になるのでどうしようかな、と思っているところだと言うと「そこまでうちの料理が好きなのだったら来なさい」と言われたんです。そこから正式に労働許可証の申請などで動き出したのですが、失業者も多い状況だったのでなかなか許可されなかったのですが、さまざまな偶然と人のつながりでなんとか許可証をとることができたのです。

辻:なるほど。その後はいずれかの店に行かれたのですか?

米田:いえ、この店で1年間ほど働いていたのですが、父親が病に倒れ、その状態があまりよくないので一度帰ろうということで帰国したのです。

■食べ歩き:全ての店に感銘を受け、どの店にも満足しなかった■

辻:学生からの質問で興味深いものがひとつあります。日本であれ、フランスであれ、厨房で自分の師とあおぐ料理人について仕事をした場合、その人の考え方などは教えを乞うものなのか、あるいは盗むものなのか。

米田:両方ですね。でも、結局は自分がどれだけ吸収するかが大切ですね。もし、シェフが教えようと思っても自分が勉強する気がなければ身につかないわけですから同じですよね。

辻:米田さんがフランスにいらっしゃった頃はフランス料理が一番動いていた時期だと思うのですが、そういった動きをキャッチするために頻繁に食べ歩きなどはされていたのですか?

米田:ええ、毎週のようにちがうレストランに食べに行っていました。ですから当時の写真を見ると顔がパンパンですからね。体重も5kgほど多かったです。

辻:食べ歩きのレストランの選択の基準はどういうものでした?

米田:まずはミシュランの星付きレストラン。ただ、それで行くと自分の感覚とずれている場合があったんですね。それでもう一つのフランスのガイドブック"ゴーエミヨ"も参照して自分なりの基準でミシュランと照らしあわしつつ店を決めていました。

辻:その頃一番感銘をうけたレストランは?

米田:全てに感銘を受けたともいえますし、どの店にも感銘を受けなかったとも言えます。というのはどの店に行っても「僕だったらこうするのにな」という部分がありました。

辻:かなり技術的には自信があったのですね。

米田:自信はそれなりにありました。

辻:料理人の自信ってなかなか難しいと思います。それはいかなる料理でも作れるということなのか、どんな店で働いてもやっていけるということなのか、その頃の米田さんの自信というのはどういうものでした?

米田:美味しい料理を作れること

辻:ほぅ~っ

米田:いずれしにろ勉強はずっと続くので完璧な「今」は絶対ないわけです。そういう視点から言うとその頃、ま、神戸で働いているときですけれど、自分より美味しい料理を作っている店はないように思っていたんです。

辻:すごい自信ですよね。

米田:ほんとうにすごい自信ですよね(笑)ちよっと頭がおかしいのかも(笑)

辻:そこまで自信が持てるってすごいことですよ。だって普通厨房でチームがあってそのひとつのパートを何年もやって、料理を仕上げていくという流れじゃないですか。米田さんは既にひとつの料理を作り上げるだけの知識を持って
られたというこですよね。

米田:その神戸の店というのがシェフと私ともうひとりのスタッフだけでしたから。

辻:なるほどとても小さな店だったのですね。

米田:そうです。ですからすべて一人でやらなければならない状態でしたのでそういった状態で仕事をしていた経験はすごく役にたっています。

<『Hajime Restaurant Gastronomique Osaka Japon』オーナーシェフ 米田肇氏>次回の更新は11月19日(金)を予定しています。