OSAKA

辻調理師専門学校

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「橋本先生の元から、34人が巣立つ時」(調理師本科キャリアクラス)

在校生ブログ
調理師本科

2020.03.11

こんにちは。調理師本科キャリアクラスの鶴見佳子です。
とうとうこのブログも最終回となりました。

*「まさかの春」がやってきた!
前々回、「大阪城ホール(卒業式会場)は私を迎えてくれそうです」と書きましたが、な、な、なんと、大阪城ホールが私を迎えてくれないことになりました。
えっ、まさかの落第!?
いえいえ、新型コロナウィルスの拡大防止策の一環として、学校の一斉休校の要請がなされ、大阪府・市でも同様の措置が発表されました。学校から「苦渋の決断」として卒業式中止の案内がきました(号泣)。

まさかの春が始まりました。
3月1日、自分に与えられていたロッカーを掃除し、鍵を返したら最後。
縮小して行われる予定の3月16日の卒業式まで、原則、学校に登校さえできないことに。幸いにもその間に、この1年をじっくり振り返ってみることができました。
まず、私は、キャリアクラス(71クラス)の担任、橋本宣勝先生の下で過ごしてきた1年を、とても愛おしく誇らしく思います。
一人の担任の先生が入学から卒業までを見守ってくれる...。いえ、正確に言うと、そんな生やさしい事態ではありません。
「先生は調理を教える仕事と思うだろうが、9割は書類仕事なんや」と先生はおっしゃいます。

キャリアクラスには、34人の生徒が在籍しました。
その多くが次々と、さまざまなことを「しでかし」ました。
欠席する、遅刻する、病気になる、怪我をする、居眠りをする、忘れ物をする、書類の提出を間違う、月に1回の検体提出を失念する、交際をする、喧嘩をする、就職が内定する、就職がなかなか決まらない、試験に落ちる、再試験に挑む、泣く、笑う、わめく、すねる、文句を言う、やかましい、訳のわからない質問をする、頭でっかちだ、やる気がない、自分勝手だ、連絡がつかない、雑だ、のろい、落ち着きがない、いらちだ、一言多い...。
厄介な34匹の猛獣たちを、なんとか束ねてくださったのが、担任の橋本先生でした。私たちは1日に何度も校内で「お疲れさまでした〜」と声を掛け合いますが、声を掛けるのは、本当は橋本先生に対してすべきなのです。
「先生、キャリアクラスって、いろいろあって大変ですよね」と思わず労いの言葉がでた時の先生の返答に、私は耳を疑いました。
「いや、今年はそうでもない」
もっとすごい猛獣が、過去にいたということでしょうか...。



*橋本先生の教えその1「丁寧なしごとをしろ」
橋本先生に教えていただいたことは、たくさんありますが、私は特に重要なことを3つに絞って挙げたいと思います。私の人生観や料理人としてのスタンスを決めるのに大きな影響を与えた3つです。

まず、「丁寧なしごとをしろ」。
雑なしごとをすると、先生は怒りまくります。
「うりゃー、雑なことをしてるんじゃないぞっ」
ポケットの中から扇子を出して、パンパンご自分の手で打ちます。その音を聞くたび、不器用で、生まれた時から「佳子」ではなく「雑子」として育ってきた私は、縮みあがりました。
自分が叱られなくても、例えば同級生が「そういう〝雑い〟ことをするからお前はダメなんだっ!」と叱られるたび、これは自分のことだと思って反省しました。
先生のように静かで、丁寧で、正確な手技は、誰にもできません。

一方で、経営をするようになったら、丁寧でありながらも同時に効率的に動くことも大事だと先生は伝えてくださっています。特に「ワンオペレーション」、一人で厨房を切り盛りしなくてはならない人にとって、どんなところで効率的に動くか、丁寧さのレベルをどう変えるのかは生命線を握ります。
切った材料を一時保存しただけのボウルを、油ぎったボウルと同じレベルで洗う必要はない。
「そこは臨機応変に対応していかないと、料理人として潰れますよ」
そうおっしゃった時の先生のクールな目を今も焼き付けています。

反省なら猿でもできますが、私は「お猿さん以下」からなかなか脱出できませんでした。ただ、ある日、わが家で、いつもの家事仕事をする時に、少なくとも昨年の4月よりは丁寧になっている自身に気づきました。
猿ではなく、亀の歩みではありますが、この線上でさらに向上していくしかありません。
丁寧なしごとをするために、厨房に「橋本大明神」のお札でも作って貼り出しておこうかなぁ。お札の紋は扇子にしましょう。扇子は、技術とセンスの象徴ですから。



*橋本先生の教えその2 「料理人は健康でなくてはならない」
キャリアクラスは、飲食業界で就職する人、さらに進学する人、開業する人が混在するクラスです。橋本先生は意識的に、「働くということ」「開業するということ」を教えてくださったように思います。すでに私たちは社会人生活を経験しているからこそ、改めて、働き方のスタンスを決めなければならないからです。
先生から伝えられ、絶対に忘れてはいけないのは、「料理人が心身ともに健康でなければ、お客様を健康にできる料理を作れない」という教えでした。

先生は、在フランス・パリOECD(経済協力開発機構)大使館へ出向された経験があります。朝早く起きて市場に行き、食材を仕入れ(もちろん交渉はフランス語)、大使ご一家の朝食、昼食、夕食を作ります。大使主催の会食会があれば、マダムにレシピを見せて改良しながら、饗宴に向けて大人数の料理をつくります。
料理を終えた後も、ボスから呼び出しがあれば、料理の説明にお客様の前に出なくてはいけないので、厨房でじっと待機。
その話を聞いた時に、先生はパリでいったい1日にどれだけ働いておられたのだろう、何時間緊張しておられたのだろうと思いました。過酷な職業です。
そんな毎日の中で、先生は昼食の片付けが終わった後は、何があってもご自分の部屋に戻って2時間、昼寝をしたとおっしゃいます。自分の健康を維持できなければ、おいしい料理を作ることはできない。ひいては、お客様に健やかになっていただけない、と。

その一線を私は守り続けられるでしょうか。
読みたい本があり、見たい映画がある。聴きたい落語があり、行きたいショッピングモールがある。痛烈に今日は飲みたい酒がある...。でも、自分の健康を一番に守るために、それらを封印して今は眠る。そんな選択を、これからの私はできるでしょうか。
橋本先生の昼寝の話は、料理人にはアスリート並みのコントロール力がいると教わった瞬間でした。

そう教えられてから、私は朝、朝食をしっかり食べた後、ビタミンCのサプリメントを3粒飲んで通学し、糖質は3回に分けて平均的に摂取し、夜は十分に睡眠をとる習慣を徹底して身につけました。学校に持っていく水筒には、熱いお湯にレモン汁を数滴混ぜるか、ほうじ茶を入れ、暖かい飲み物を飲むようにしました。
それでも、年のせいでしょうか、時々疲労感に襲われます。そういう時だけ、栄養錠剤を飲みました。風邪を引かず、一度も熱を出さず、「無遅刻・無欠席100%」で、卒業することができたのは橋本先生のおかげです。これまで遅刻の常習犯だったというのに。
自分の健康はお客様のため、と考える習慣を守りながら、働いていきたいと思います。



*橋本先生の教えその3 「C'est la vie」
先生からいただいた重要な言葉の一つはフランス語でした。
C'est la vie(セ・ラヴィ)。フランス人がしばしば口にする決まり文句です。
「これこそが人生だよ」と肯定的に使うこともあれば、「仕方ないなぁ」と諦めたり悲しがったりする時にも使います。
大阪城ホールでの卒業式が中止されたのは、残念で寂しいですが、まさにC'est la vieなことでもあります。

私たちのクラスは、最後の校内行事で「おでん」をつくることになりました。おでんの試作をしている時、クラスメートのMさんが「この肉のように、脂身ばかりお皿に入ったら、かわいそうですよね、私は嫌だなぁ」と言った時に、先生が「それはC'est la vieだね」と教えてくださいました。
おでんの皿に乗った豚の角煮。赤身より脂身が少し多かった。赤身派にはちょっと残念かもしれないけど、脂身には脂身のおいしさや役目があるし、脂身派にはラッキーなことかもしれない。
たまたまそれが今日の自分にお皿に回ってきただけ。だけど、それが永遠に続くわけじゃないし、脂身が何かを考えるきっかけにもなる。
若い時代の橋本先生が、パリの石畳でC'est la vieとつぶやいている...。そんな姿を妄想しました(私には妄想癖があります)。

ところが、実際におでんの下準備に入るや否や、C'est la vieは「雑なしごとをするな!」の現実に戻りました。
お客様にお出しする大根や豚の角煮に大小がないように、きちんと重量を測れ、それをすべての切り身でキープしろ、と日本料理としての正確さが要求されました。
正確にできなければ、「うりゃー!」の扇子が待っています。
最後の校内行事として、私たちは150食分の「おでん」を作り、辻調グループの生徒や先生に食べていただきました。



おでんに添えた、わがクラスオリジナルの「ひねり薬味」。
「薬味がおいしいと、学校の先生に絶賛されたよ!」と橋本先生に肩をたたかれ、とてもうれしい1日となりました。「おいしい!」と言っていただけるって、料理人にとって本当に何よりの喜びなんですね。この喜びが、次々と続きますように。

「おでん」が辻調で作った最後の料理となりました。



*橋本先生の元から巣立つ34人の未来
橋本先生に叱られ、呆れられ、励まされ、鍛えられた34人がこの春、それぞれの就職先や進学先へ、自分の夢に向かって歩き出します。
私は「食堂あおぞら」の開業を目指す中で、今、世間を翻弄している新型コロナウィルスが、社会のあり方や人々の働き方を大きく変え、飲食店もそれに応じて柔軟に変化しなければいけないのだと覚悟を決めました。

辻調で勉強した教科書や資料のファイリングも終了。あとは、ひたすら自分の道を歩き、「こういう働き方をしていこう」「明日もおいしい料理を作っていこう」と、自分の信念と戦略に沿って仕事を続けられれば本望です。
料理人を引退する時には、自分の人生の重要な通過点だった辻調を、愛おしく誇らしく思い出すことになるでしょう。それまではあまり感傷的にならず、どんな局面を迎えても、C'est la vieとやりすごしていこうと思います。

辻調理師専門学校、教えてくださったたくさんの先生がた、ともに学んだ同級生たち、私を支えてくれた家族や友人たち、街場であらゆるヒントをくださった多くのシェフや店主の先輩たち、ありがとうございました。

そして、橋本宣勝先生、先生のクラスの片隅にいられたことを誇りに思い、先生に教えていただいたことに心から「ありがとうございました」と申し上げます。

感謝と愛を込めて、71クラス出席番号002。


プロフィール
鶴見佳子(名古屋市出身、大阪市在住)。
新聞記者、文筆家(フリー)を経て、現在、辻調調理師本科(キャリアクラス)に在籍。50代の学生ですよ!
趣味は落語(アマチュア落語家「大川亭知どり」も私のもう一つの顔)。
目標は「食堂あおぞら」の店主兼調理人。これを人生最後のしごとにすべく勉強しています黒ハート