OSAKA

辻調理師専門学校

ブログ

「先生と生徒、料理人と未来の料理人」(調理師本科キャリアクラス)

在校生ブログ
調理師本科・キャリアクラス

2020.03.03

こんにちは。調理師本科キャリアクラスの鶴見佳子です。

幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、大学院、通信教育などさまざまな教育機関と、辻調が決定的に違っているな、と思うことがあります。
それは、教師と生徒の「職業が一致する」こと。
先生たちと私たちは、「教師と生徒」という関係であるとともに、「現料理人と未来の料理人」という関係でもあります。

*「核心」を教えてくれる教師陣
昨年4月から始まった辻調の調理実習の講義。1年経った今、振り返ってみると、先生たちは本当に「核心」を教えてくださったのだとわかります。
先生の言葉からいくつかのエピソードを紹介したいと思います。

「料理を上手になる以前に、まず、しっかりした姿と態度を大切に。きれいな立ち姿で料理をしなさい」(日本料理 鈴木照美先生)

この言葉をうかがったのは、昨年の5月でしたが、学校で学べば学ぶほど、鈴木先生のこの言葉は、基本中の基本だと思い知ります。
ですが、少しでも気を抜いたり、心身が健康でなかったり、向上心がなかったりすると、まったく実践できないのです。
青ネギを刻みながら、だんだん丸まっていく背中に「はっ!」と気づいたことが何度あったでしょう。日々積み重ね、手を抜かないことでしか、身につかないんだなあといつも反省します。

「何本も何本も牛蒡のささがきを作り、1年ぐらいしたころ、職場の先輩がピーラーを渡してくれた。なんだ、こんな簡単にできる道具があったのかと思ったが、すでに、ささがきが上手にできるようになっていた」(日本料理 簾達也先生)

左手で牛蒡を転がしながら、右手の包丁でささがきを作る方法を教えていただいた時に、簾先生がおっしゃった言葉です。
便利な道具はどんどん開発され、今ではまるで化学の実験のような調理器具すらあります。また、いざ厨房に立ったら、効率的に調理するために、たくさんの便利な道具を使いこなすことになるのでしょう。
それでも、調理の原理・原則・基本を知っていてこそ、応用も効率化もできるもの。
サボりたい気持ちになると、この簾先生のエピソードを思い出すようにしています。

「僕は9年目だけど、まだ物差しを持っていますよ」(日本料理 久常将斗先生)

調理実習では、講義をしてくださるメインの先生の横に、ありとあらゆる準備をしてくださる若手の先生が立っておられます。日本料理の久常将斗先生もその一人。
若い生徒には年齢が近いこともあり、兄貴のような存在です。私は、先生より随分年上ですが、久常先生は信頼できる辻調の先輩だと意識する機会が多かったと思います。
大根の短冊切りをしていた時のこと。大根を、3cmの長さに切り、上から垂直に7mm幅の板状にし、繊維に沿って2mmの厚さに切る。これは、前期期末試験の課題でもありました。
最終的には、物差しに頼らず、自分の指だけで正確に測れなくてはなりません。それが身についていないのに、つい目分量で切っている横着な私たちを、久常先生は注意されました。学生時代、大根の桂むきを習得するために、毎日1本ずつ大根を使い、とうとうドクターストップがかかるまでに指先を痛めた経験があるそうですが、先生になられて9年目となった今も胸ポケットに物差しをいれていらっしゃる。日本料理をするに際して、正確さを追求せよ、と教えてくださったのです。
実は、私はこの大根の実技の試験で、ひどい点数をとってしまいました。久常先生の助言を思い出しながら、1mmを笑う者は1mmに泣くんだなぁ、と思いました。

「火加減とは、炎の大きさを見ることではない。鍋の中身の色・音・香りで判断しなさい」(西洋料理 此上潤先生)

此上先生は厳しい先生でした。私たちキャリアクラスは、他のクラスと比べて独特の事情があるためか、よく叱られました(笑)。
高齢となり「反射神経」が鈍くて不器用なのか、社会人として経験を積んだゆえに、頭の中に他の知識や情報がたくさん詰まりすぎ、それが邪魔をするのでしょうか(言い訳です)。
「いつも100点をとれなくては、技術とはいえないよ」と言われるたび、気が遠くなりかけましたが、科学としての知識とともに、自分に備わった五感をフルに正確に使いなさいと先生に教わりました。


「おいしいものは、いつもギリギリなのである。だから、そこへ向かって、攻めていくべきだ」(西洋料理 可児慶大先生)

生徒たちは毎回の調理実習で、事前に予習をして臨みますが、教科書やレシピ通りにこなすだけで精一杯です。
いざ社会に出たら、「こなす」だけではプロになれません。いつも同じクオリティに仕上げなくてはなりませんが、実は食材も、調理をする時期も天候も、毎回違います。
千差万別の食材の特徴を判断しながら、「最高においしい」という1点のゴール、頂上に向かう。たった1秒長く火にかけることで、最高地点が完成することもあれば、その1秒でゴールを通り過ぎてしまうことも。
先生のおっしゃる通り、さまざまな条件を的確に判断しながら、いつもぎりぎりを攻めていくしかない。
辻調を卒業した後、調理人として何年働けるかわかりませんが、その間中、この可児先生の言葉を心に刻んでいようと思います。

「プロとアマチュアの違いは何か。プロは人間観察がするどい人のことです」(西洋料理、寺尾雅典先生)

寺尾先生は、ホテルやレストランでサービスのプロとして働いた経験から、厨房の外の視点を示してくださいます。お客様に対して、調理人としてだけでなく、サービスや経営の立場からも見ていなければならないんだと教わりました。
私たち調理師本科(1年制)にはサービスの授業が少なかったので、期末試験の後に、寺尾先生にお願いし、グラス類やカトラリー、陶器類の扱い方を学ぶ講義をしていただきました。
このように、求める生徒には、応えてくださる先生が多いのも辻調の強みです。


「優秀なイタリア料理店は数多くあり、その中にはみなさんの先輩が働いている店もたくさんあります。ですが、一介の教師である私が、どこが一番美味しいというのはおこがましいと思うんですが...少し考えてみましょう」(西洋料理 本多功禰先生)

イタリアンレストランへ就職を志したクラスメートのHさんが本多先生に、関西のおいしいイタリア料理店を教えてほしいと質問をした時の回答です。キャリアの長い先生の一人である本多先生が、なんと謙虚で誠実な答えをなさるのだろうと感動しました。また、教師とは何なのかを考えさせられる言葉でもありました。
何人もの生徒が先生の元から巣立ち、それをリスペクトしている。教師とは、それほど長く大きな仕事。90分の講義の何倍量にも相当する細かい文字が丹念に綴られた本多先生の講義ノートを見かけたことがあります。教えるって大変だなあ、と心から思いました。

*建学の精神を受け継ぐ
辻調の本館の玄関に入ると、左の壁にプレートが掲げられています。

Docendo Discimus(ドケンド・ディスキムス)

「私たちは教えることによって学ぶ」を意味するラテン語の格言です。
辻調グループ創設者である、故・辻静雄初代校長が、辻調理師学校(現・辻調理師専門学校の前身)を1960年に開校以来、その思想と活動を体現する教育信条として、現在まで教職員に脈々と受け継がれている「建学の精神」がDocendo Discimusです。

前校長は、「学校とは、教職員が持てる限りの知識と技能を授業において学生に出し尽くし、教職員自ら新たに学び続けるところ。学生が勉強するのは私たち教職員が絶えず勉強しているからだ。元々料理や製菓に究極はない。これらを仕事にする者は一生が勉強なのだ」と繰り返し熱く語られたと、玄関のプレートには書いてあります。

「調理や製菓の仕事に就いても自ら学び続け、後進の育成とともに業界の発展を牽引して欲しい」。"Docendo Discimus"は、卒業生にも引き継がれます。
私にも、できるでしょうか...。卒業式を控え、身が引き締まる言葉です。

次回は、私の学生ブログ最終回、「橋本先生の元から、34人が巣立つ時」です。お楽しみに。


プロフィール
鶴見佳子(名古屋市出身、大阪市在住)。
新聞記者、文筆家(フリー)を経て、現在、辻調調理師本科(キャリアクラス)に在籍。50代の学生ですよ!
趣味は落語(アマチュア落語家「大川亭知どり」も私のもう一つの顔)。
目標は「食堂あおぞら」の店主兼調理人。これを人生最後のしごとにすべく勉強しています黒ハート