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辻調グループ フランス校

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永瀬裕美さん 「Restaurant Sola(レストラン・ソラ)」

卒業生レポート

2016.06.17

大阪・辻調理師専門学校 2007年3月卒業
フランス校 シャトー・エスコフィエ フランス料理研究課程 2007年 秋コース卒業
研修先:Château de Noirieux(シャトー・ドゥ・ノワリュー)<ロワール地方 ブリオレ>
    Restaurant Benoit(ブノワ)<東京 青山>
    LADURÉE(ラデュレ サロン・ド・テ 銀座店)<東京 銀座>
    Restaurant Sola(ソラ)<パリ> ソムリエ
     12 Rue de l'Hôtel Colbert, 75005 Paris
     http://www.restaurant-sola.com/


『パンセ・オ・クリヨン』

パリ随一の観光名所であるノートルダム寺院が建つシテ島のほど近くに位置するレストラン・ソラ。日本人若手料理人の登竜門RED-U35の2014年大会でグランプリを獲得し、メディアでも一躍脚光を浴びた吉武広樹シェフが率いる予約困難な人気店です。今回はそのレストラン・ソラで、現在ソムリエとして働く卒業生の永瀬裕美さんにお話を伺いました。
※料理写真は昨年の同時期のものです。


吉武シェフと             レストラン・ソラの外観

■フランス校を卒業してから現在までの経歴を教えてください。
まず、東京の青山にあるブノワに就職しました。そこで1年間サービスとして働いた後、当初から希望していた調理スタッフに移ったのですが、体力的に厳しかったことと、当時ブノワのシェフであった小島シェフの勧めもあってサービススタッフに復帰しました。その後、お茶やコーヒーにも興味があったのでラデュレのサロン・ド・テにやはりサービススタッフとして勤務した後、今から約4年ほど前に、ワーキングホリデーヴィザを取得して渡仏しました。当時は言葉の問題もあったので、日本人シェフのお店に狙いを定め、最初に履歴書を送ったレストラン・ソラでサービスとして働くことになりました。その後、お店の協力もあって労働ヴィザを取得。最初はサービススタッフでしたが、途中からアシスタントソムリエに任命され、今はサロン・ジャポネ(ソラの地下にある客室のこと。掘りごたつの和風スペースになっている)のソムリエとして勤務しています。

 
永瀬さんが働くサロン・ジャポネ   1階の客室

■1日の仕事の流れを教えてください。
午前10時に出勤します。まず、サロン・ジャポネのワイン庫から、サービス時に適温になるように赤ワインを出しておきます。その後、1階客室のワイン庫の補充と在庫整理をしてシェフソムリエに報告し、その日提供するグラスワインを相談して決めます。その後は他のスタッフと一緒に営業準備をして12時から営業開始。お昼の営業終了後、15時~18時まで休憩。18時から夜の営業準備をし19時半から営業スタートで最後のお客様が帰られるのが24時か24時半。すぐに片付けをし、自転車で帰宅します。

 
(左)フォカッチャの薄切りとパルメザンチーズクリーム マテ貝のグリエ、ピマンデスプレット風味
(右)三種のトマトとホワイトアスパラガス、 グリーントマトとフロマージュブランのソルベ、ブラータチーズ添え

■現在の仕事の面白いところや、やりがいを教えてください。
お店からの要望でやり始めたソムリエという仕事なんですが、今では大好きになりました。サロン・ジャポネはフランス人のお客様が多いのですが、フランス人を相手に接客し、ワインや飲み物を提供できることにやりがいと楽しさを感じています。お店では日本酒も提供しているので、日本酒や日本の文化について説明することもよくあるんですよ。ただ、楽しいと言っても、体力面などで、大変なことやきついことの方がもちろん多いのですが(笑)

  
(左)平目の薄切りの燻製、旬真っ盛りのロワール産グリーンアスパラガス、ベシャメルのエスプーマとアブルーガ
(右)メルラン、旬の春野菜をふんだんに使って

■自分の仕事に対するこだわりや大切にしていることは何ですか。
それはもう「pensez aux clients. パンセ・オ・クリヨン(お客様のことを考えなさい)」に尽きます。フランス校のコアール先生から最初に教わった言葉で、本当に偉大な言葉だと思います。これは日本にいたときも、フランスでもぶれることはありません。例えば何か厭なことが自分にあったとしても、どんなに体調が悪いときでも「パンセ・オ・クリヨン」は絶対です。

■では、仕事で辛いことは?
お客様が満足していないと感じるときですね。もう泣きそうなほど辛くなります。例えば常連のお客様の様子が普段と違い、いつもよりも早く帰ってしまわれたときなどは、「何が駄目だったのだろう」「もっと喜ばせることができたのではないか」と帰宅してからも一人で考えてしまいます。

 
(左)リドヴォー,アロッシュ、パネのピューレ
(右)ベリーとホワイトチョコレートのアイスクリーム、フロマージュブランのムース

■フランス校の思い出は何ですか。
とにかく大変でした(笑)。「どうして朝から晩までこんなに料理のことばっかり考えなければならないんだろう」って、特に最初の頃は思っていましたね。他にも「どうしてこんなに大変な思いをしなければならないんだろう」「なぜこんなに怒られなければならないんだろう」と思ったことが強烈なイメージとして残っています。ただ、真剣にそう考えて、その分努力した結果が今に繋がっているんだろうとも思います。
楽しかった思い出としては、多分同じ班の誰も覚えてないと思うんですが(笑)、ある日自分の班が担当した夕食メニューがすごくうまくいったんです。リズムもすごく良くて。そして班のみんなが同じ気持ちを共有していることをお互いに感じ取っていて、終わった瞬間に全員で「イエーイ!!」ってなったんです。最高の気分でした。

■研修はどうでしたか。
研修はロワール地方の1つ星レストランのシャトー・ドゥ・ノワリューでした。担当は魚料理のガルニチュールで、イギリス人女性の研修生とずっと一緒でした。当時は言葉もあまり話せないし、齢が離れている人が多かったこともあってあまり友達ができなかったですね。ただ、その分ロワールの古城めぐりなど、一人でよく出かけました。そのおかげでロワール地方が好きになったんだと思います。だから今でもロワールのワインが好きですし、ロワール出身の人には愛着が湧きます(笑)。

■フランス校で得たものはなんでしょう。
色々ありますが、何と言ってもフランスを好きになったことです。だからこそ今こうやってフランスで仕事をしているんです。フランス校を卒業して日本に帰ったとき、絶対に30歳までにフランスに戻ってこようと思っていました。その気持ちが今に繋がっているんです。

■今後について聞かせてください。
最初にもらった労働ヴィザが1年半の期間限定だったので、最初は1年半で帰国するつもりだったんですが、結局今もこうやってフランスで働いている。なので、これからもどうなるか分かりません(笑)。ただし、レストラン、中でもフランス料理のレストランが大好きなので、これからもレストランに関わる仕事をしていきたいと思います。今はソムリエという仕事の魅力に引き込まれていて、当面はソムリエとして働くつもりですが、実は昔からレストランの「マダム」に憧れがあって「マダム」になるのが夢でした。レストランの「マダム」は、サポート役に徹しているようで実はお店を動かしている。例えばレストラン・ピラミッドのマダム・ポワンみたいに。ですので今も、いずれは「マダム」になるということを念頭において働くようにしています。サービス、ワイン、お茶、コーヒーの他にも簿記もやりました。お花の勉強もしています。シェフ・ソムリエ、メートルと辿っていずれは・・・

■最後に、これからフランス校に進学予定であったり、フランス校進学を検討している人に何かアドバイスがあればお願いします。
私はもう行きたくないです(笑)。先生怖いし(笑)。冗談はさておき、ただひたすら頑張るしかないんじゃないでしょうか。経費面で支援してくださる方に感謝して頑張るのは言うまでもなく、当時、私も今の自分を予想できなかったように、自分の人生がどうなるかなんてわからないだろうけど、今そこで頑張らないと社会は学校の何十倍も辛いです。厳しい先輩も多いし、フランス校卒業生を目の敵にする人もいます。とにかく、朝から晩まで先生に怒られながら自分のために頑張ること。今フランス校に行ったとしても、自分ならきっとそうすると思います。思い返せば、当時は訳もわからないまま私もそうしてたと思います。そしてフランス校で得た友人は今でも大切な友人だし、コアール先生の教えや理論的な考え方は全て今の自分に繋がっていると思います。フランス校で頑張らないでただ楽しんでいるだけの人は、社会に出たらそこまででしょう。目の前のことを必死で全力でやっていかないと次にはつながらないと思います。そして運も転がってこないと思いますよ。