OSAKA

辻調理師専門学校

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失敗しなければ学べないこともある ~料理コンクールにチャレンジ~

調理師本科

2021.11.15

辻調の学生として料理を学んでいたころの夢は、フランスに行くことでした。
当時の自分にとってそれは簡単なことではなく、
長い長い年月と紆余曲折あって、ようやく叶えることができました。
帰国して、少しだけ腕に自身が持てるようになってからの夢は
「自分の創作した料理を、世界中の人が食べてくれること」になりました。
 
辻調理師専門学校の先生が仕事で料理を作るのは、
授業テーマの理解を深める目的で教科書に載っている模範レシピを再現して見せるもので、
創作する機会はありません。
夢を叶えるチャンスは突然やってきました。


(コンクールで作った温製野菜料理。
とあるシェフから影響を受け、1つ1つの野菜を生かし、全体の調和を大切にした1品。)

ある日、私の師匠である先輩から、西洋料理の業界団体が主催するコンクールに出場しないかと声をかけられました。
その時はあまり深く考えず「はい」と答えたのですが、
出場するのは超一流ホテルやレストランを代表する選手たちばかりです。
自分なりに練習して臨んだつもりでしたが、いざ本番になると極度に緊張し、手の震えが止まりません。
結果は散々で、自分の調理技術や料理が通用しなかったことがとてもショックでした。
それから毎年そのコンクールにエントリーし続けたものの、予選のレシピ審査さえ通過することができませんでした。

今から思えば、この何事も上手くいかない期間が、自分の成長につながっていることがわかります。
まずは、料理レシピの重要性の気付きです。

当初のコンクールレシピは、
フランスで見聞きしてきた最新の料理から得たアイデアや独創性を盛り込むことばかりに夢中でした。
落選をくり返すことでようやく自己主張に凝り固まり、食べ手のことなど眼中になかったことに気づいたのです。


(コンクールで作った子羊料理。
当時の自分の集大成であり、食材を無駄なく使い尽くすことを根底に構成しています。
詳しくはまた別の機会で...。)

もう1つは『段取り』と呼ばれる、調理工程のマネジメント能力です。
実技審査のあるコンクールでは調理時間が定められていて、
指定時間に完成した料理を提出しないと減点や失格になってしまいます。

最初からその調理時間でできる範囲の料理を考えればよいわけですが、
他の選手より見た目も味も優れた料理に仕上げるためには、より多くの手間をかけることが必要です。
手を早く動かして作業スピードを上げるのは基本中の基本ですが、それで稼げる時間はわずかです。
お店で複数のオーダーをこなすように、同時並行で行う作業を増やすことで劇的に時間短縮することができます。

例えば、10分かかる調理作業6種類を1つずつ行うと1時間必要ですが、
2種類ずつ同時に行えば半分の30分で終えることができます。
直接手を使う作業は無理ですが、加熱調理は五感を駆使して見張ることで、
コンロと鍋の数が許す限り同時に行うことができるのです。

数年後、審査するトップシェフたちにおいしさが伝わることを心がけて書いたレシピが予選を通過。
何度もくり返し考え抜いた段取りで実技審査を乗り切ると、なんと優勝したのです。
それからはいくつもの料理コンクールに出場する機会に恵まれ、
最終的にはドイツで行われた世界大会に団体戦の日本代表として出場、銀メダルを獲得することもできました。

就職してすぐに、自分は不器用なのだと気づかされました。
毎日のように失敗し続けたため、やがて誰からも期待されなくなりました。
一緒に働いている皆さんには申し訳なく思いましたが、
「どうせ失敗するなら、やらずに後悔するよりもやってみよう」と開き直り、
普通の人が1回で覚えられることを、できるようになるまで何度でもチャレンジするようになっていったのです。


(2004年に行われた料理オリンピック世界大会で作ったベジタリアン料理の写真。
自国文化の要素を盛り込むというサブテーマがあり、お茶や和菓子がイメージされるようにまとめています。)

失敗は成功の母と言葉で言うのは簡単ですが、
失敗から立ち直ること、反省すること、失敗の原因を追究する姿勢を持てるようになるのは、とても難しいことです。

若いころは「料理が好きだ」という1点でしか自分を信じることができなかったけれど、
辻調で学ぶことでそれが仕事にできたからこそ、現在の自分があります。
そして今は、自分のように遠回りしなくても済むように、上手に料理を教えています。

~プロフィール~
高岡 和也
辻調理師専門学校 西洋料理担当
辻調進学のために大阪に来てから数十年。
料理はベテランになったけれど、笑いはいまだに上手に取れないことが悩みの種。笑